聖書に学ぶ地理的センス

聖書に学ぶ地理的センス

クリスチャントゥデイに対する日本基督教団議長の声明やキリスト新聞とクリスチャン新聞が手を組むようにして、」クリスチャントゥデイを特に内部告発なるものを用いての報道が、クリスチャントゥデイに対し取材(と言っても対象は、私を入れて3名)を一切せずに流されいます。
 第一3名だけで、どうやってクリスチャントゥデイの働きを継続できるのか、善意からの心配も当然です。

 私自身ついて言えば、今までの歩みにおいても挫折はしばしば。後ろからj銃弾を銃弾あびる修羅場を通過あびるしててきました。そうした中で、主は挫折の中から、なお弱き者を導き続けくださっています。
 年来の親しき友人牧師が、「宮村先生、転んでもただ起きない」と表現する恵みの事態が、この度も生じようとしています。
 沖縄時代願い提唱し挫折したかに見えた、聖書に学ぶ地理的センス。今、クリスチャントゥデイの今後の歩みにおいて、地域報道重視の祈りの根拠になりつつあります。
 お金や組織がなければできないこと、確かにあります。しかし同時に、お金や組織がなくともできることもあります。クリスチャントゥデイにおいて、地域に根差し、地域を越える記事が掲載さるる道が開かれるようお祈り頂ければうれしいです。沖縄時代、以下のように書きました。

★聖書に学ぶ地理的センス
日本福音キリスト教会連合の交わりの中でー
[1]序.
 新しい主にある交わり,直接には沖縄地区にある六つの教会の一つに属し生かされている中から,小さなご報告をいたします.
 聖書が時,時間,歴史を大切にしていることは明らかです.ですから聖書を読みつつ生き,生活・生涯を通して聖書を読む恵みを与えられている私たちが歴史的(時,時間)的センスを身に着けて行くのは自然なことです.そして歴史的センスと言うとき,時や時代と共に,場所や地理的センスを当然含みます.
 地理的センスにこだわるのは,個人的な経験とも関係するかもしれません.最初に仕えることを許された教会は関東平野の北西の端,次の教会は東京の西の端に所在.そして首里福音教会.沖縄は日本の南の端だと位置ずけられます(首里福音教会の講壇中央にある十字架の下にある地球儀はそんなこと少しも示していませんが).

[2]聖書に見る地理的センス,神のみ旨・計画における「島々」. 沖縄の諸教会にとって,離島伝道は教会のあり方そのものに深くかかわると自覚し,家庭集会の一つではイザヤ書を読み進めながら離島の一つ伊江島宣教のため祈り続けています.離島伝道に目を据えて見通す限り,沖縄宣教は戦後後退しています.
(1)聖書に見る,「島々」.
 イザヤ書後半に繰り返し言及される,島々.
 イザヤ42章10,12節など,メシヤ預言の中で「島々」について言及している意味.
 初代教会の福音宣教,教会形成における,「島々」の位置.
☆クレテ島.テトスの手紙1章5節(一つの島に複数の教会,その一致と協力),1章12節(島の歴史文化の徹底した学び),3章12節から15節(人と手紙による生き生きとした交流).
キプロス島使徒の働き11章19,20,21節(海を越え,文化人種の壁を越える福音の広がり,国外宣教の原点).
 
(2)教会の歴史における,島々の役割.
☆中世ヨーロッパ宣教におけるアイスランドの役割.
カトリック教会の沖縄宣教.まず奄美大島,そして沖縄へ(安齊伸著,『南島におけるキリスト教の受容』,第一書房).
 島国日本などとはは,今日ほとんど言われないし,その意識も薄いのではないか.これはやはり危険なことではないでしょうか.

[3]ヨハネの黙示録に見る視点.
 聖書に見る「島」と言えば,ヨハネが「神のことばとあかしとのゆえに」(ヨハネの黙示1章9節),流刑の地として礼拝の生活をおくったパトモスを見逃すことができません.
(1)南北約16キロ,東西9キロのパトモスにあって,ヨハネは,主イエス・キリストの主権(参照1:8,21:6,22:13参照)について,徹底的に教えられます.

(2)「御霊に感じ」
 ヨハネ聖霊ご自身の導きにより,パトモスにいて小アジアの七つの教会それぞれの個性と戦いを見分け,同時に一つの地域にある七つの教会を全体として一つの教会のように見,ヨハネはそれぞれの教会に手紙を書くのです.
 しかしそれだけではありません.「御霊に感じ」て,天からすべてを見る視点と視野を与えられます(黙示録4:1,2参照).
 さらにヨハネ聖霊ご自身の導きにより,荒野の教会の姿,つまり戦闘の教会のあり方を悟り(黙示録17:3以下参照),同時に勝利の教会についての洞察します(黙示録21:10以下参照). 聖霊ご自身の導かれ,ヨハネは主イエス・キリストについて徹底した信仰の告白へ導かれ,キリストのからだである教会の豊かさについて理解を与えられます.
 
私たちも,基本的に同じ道を進むべきです.日本福音キリスト教会連合の設立の段階で確認された「カリスマ問題に関する合意事項」は,私たちが聖霊ご自身に対して消極的態度を持つことを意味しない.聖書に従い聖霊ご自身についてどれ程強調しても強調し過ぎることはないのです.
しかしそれが,パウロが大事なこととする新しい創造(ガラテヤ6:15参照)の視座,つまり創造論,キリスト論,教会論などとの有機的なそして雄大なかかわりからなされていないなら,聖書の教えとは似て否なるものとなる危険があります.

[4]日本福音キリスト教会連合の交わりの中で,沖縄から.
 日本福音キリスト教会連合の歩みにおいて,鍵の一つは地区と地区の生き生きとした交流にあると確信します.それぞれ自立した地域教会がその地域全体としては一つの教会として見られるような真の交わりを保ちつつ,他のそうした地区と交流を持つ.そんな願いを心に持ちながら一つの提唱をさせていただきます.
(1)過去の恵みを覚えて.
 旧日本新約教団で持たれた沖縄聖会(1984年5月,1985年5月,1986年5月)が本土と沖縄の双方の教会にとりいかに祝福に満ちたものであったかますます明らかになっています. 過去5年の協力伝道,本土の教会から講師を招き,6つの姉妹教会を連続して訪問,特別集会.沖縄の6つの教会ばかりでなく,講師を送ってくださった教会にとっても祝福.

(2).将来の導きを待ち望みつつ.
 今,過去の恵みを新たに思い起こし,主にあって将来を展望する必要を感じます.
 首都圏の地域と沖縄地区の交わり.30名の方々を首都圏から沖縄地区の宣教大会に.コースを二つに分ける可能性,
(イ)沖縄の歴史,宗教,地理から世界宣教について考える

(ロ)沖縄の自然から環境問題,農業問題,障害児について考える 北海道地区と沖縄地区の交わり,二コース,30名の方々.北海道と沖縄から,日本の宣教と海外宣教を考える
(イ)北海道における宣教と教会形成から,北方圏での宣教と教会形成を考える.特に,センド国際宣教団のアラスカ伝道(セントラル・アラスカ宣教団の50年以上の働き)の歴史から学び,将来の協力を考える.例えば,エスキモーの方々への宣教.

(ロ)沖縄における宣教と教会形成から,南方圏での宣教と教会形成を考える.特にリーベンツェラーの南方での長い伝道の歴史,センドのフィリッピン,台湾での伝道の歴史から学び,将来の協力を考える.例えば,各宣教団を通して形成された教会のアジア教会会議(将来は世界教会会議への発展を目指し)の形成. 
 四国地区から,沖縄地区宣教大会に30名の方々.
 両地区での宣教と教会形成,地域から地域への宣教活動について.
(イ)四国地域から中国地域への宣教の広がりの歴史と将来の展望について学ぶコース.

(ロ)沖縄地域から九州の他の地域への宣教の広がりについて.その基本的の姿勢と具体的な方法を考える.
 最後に使徒の働き1章8節を(クリスチャン新聞,1989年3月26日号,「復活,聖霊,教会」を参照くだされば幸いです).