2018年4月から5月  「喜びカタツムリの歩み、なお一歩」

2018年4月から5月
 「喜びカタツムリの歩み、なお一歩」

2009年12月脳梗塞発症・3カ月入院は、私たち二人の歩みにとって、確かに一つの基点で、ビフォー、アフターと、それ以前と以後の連続性ばかりでなく、転機・進展をも確認させてくれる恵みの経験でした。
 それからの歩みを重ね、今、2018年4月から5月を迎えながら、クリスチャントゥデイ、特に編集会議の在り方とその中での私なりの日常生活の営みの整えをめぐり、「なお一歩」と、一つの大切な節目を通過させて頂いていると自覚します。
 5月からの歩みの備えとして、あの時に記した、「脳梗塞発症・100日の入院を基点に二つの広がり」を再読、回顧と展望の時をと念じています、感謝。

脳梗塞発症・100日の入院を基点に二つの広がり」
 「2009年12月18日(金)、脳梗塞のため那覇市立病院に入院、明けて1月13日(水)リハビリに集中するため大浜第一病院へ移ってから100日の入院生活の日々、多くの方々の祈りと好意に支えられ、4月4日のイースターを前に、4月2日(金)退院できました。
この発症・入院の経験は、1963年から1967年のアメリカ・ニューイングランドへの留学に匹敵する深い学びのとき、しかも短期集中で楽しくて、楽しくて仕方がない毎日でした。

 12月18日(金)夕方、ライフセンター那覇書店の仕事から帰ってきた妻君代は、様子が普通ではないのに気づき、一晩寝れば大丈夫と威張っていた私を、脅したり、賺したりして病院へ連れて行ってくれました。君代の母親は脳梗塞だったのです。
 病院では、直ちに治療開始。しかし、一晩経過した時点で、左半身不随、丸太となってベッドに横たわっていました。
 その時、「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました」(詩篇119・67)との詩人の告白は、私の告白ともなりました。主の導きで大浜第一病院に移った後、日本クリスチャン・カレッヂで3年先輩であった宮谷宣史先生の新しい訳で、アウグスティヌスの『告白録』(教文館 上・1993、下・2007)をそろそろと読み始めました。
またそのどん底の状態の中で、からだをめぐる思索、医療従事者の方々との出会い、医療のあり方についての考察など貴重な経験の第一歩を踏み出せました。
 病院では、一日3時間のリハビリの連続。日々、楽しみながらリハビリを続ける中で、私のうちに一つの事実が生じました。からだの奥から笑いが満ち溢れてくるのです。箸がころんでも笑う年頃の娘のあり様で、夜となく昼となく「ウフフ、ウフフ」なのです。脳梗塞のため、どこか緩んでしまったのではないかと君代が訝るほどでした。
 そんな日々の中で、詩篇126編その1〜3節を読んでいるときに、「これだ!」と心に受けとめました。
「主がシオンの捕われ人を帰されたとき、
私たちは夢を見ている者のようであった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき、国々の間で、人々は言った。
『主は彼らのために大いなることをなされた。』
主は私たちのために大いなることをなされ、
私たちは喜んだ。」
リハビリの一つは、言語治療です。治療者の熱心な指導のもと舌の動きに集中しながら発声訓練。「舌、舌」と生涯でこれ程「舌」を意識した日々はありません。「私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」とは文字通り私の実感なのです。
 誤解を恐れないで言えば、脳梗塞後リハビリの経験は、小さな小さなスケ−ルでのバビロン捕囚からの解放であり、解き放ちの喜びを自らの存在の基底に覚えるのです。
 そうした日々の中で、二つの恵みの波紋が心のなかでの広がりました

(1)埼玉在住の文芸評論家・松本鶴雄
1960年代後半埼玉県寄居で出会った文芸評論家松本鶴雄さんと、入院中直接連絡が取れたのです。2009年11月に出版した、著作集Ⅰ『愛の業としての説教』(ヨベル)を送付していたところ、松本さんから電話、さらに丁寧な読書感想の便りを受け取りました。
電話では時空を越えて話が弾み、その後、交流の絆を体現する、松本さんの著書・『神の懲役人─椎名麟三 文学と思想』(菁柿堂)が遠く沖縄まで送付されて来ました。
私は応答として、松本さんを中心とする同人誌『修羅』に参加の手続きを取りました。
50年にわたり説教を続け、神学論文やエッセイなどの文学類型で書き発表してきました。しかし今回入院中に経験し思索した内容を表現するには、それに相応しい別の表現方法や場があるのではないか考え始めていたところでした。長い年月絶えることのなかった、松本さんとの交流に後押しされて、『修羅』61号に「アンヨをもって、テテもって」を投稿、71歳にして新しい小さな一歩です。

(2)人間・私・からだの三位一体的支え
脳梗塞発症後100日余の入院中、吉嶺作業療法士による入魂のリハビリの積み重ねで左手の指一本が発症後初めて1ミリ動いた瞬間、自分はからだ・からだとしての私を徹底的に自覚したのです。
同時に、からだ・人間・私は、まさに人格的存在。そして永遠の愛の交わりである三位一体なる神こそ、人格的存在人間・私の根源的な支えと確信は一段と深まりました。
「存在の喜び」(宮村武夫著作7『存在の喜び』)とは、徹頭徹尾からだである人格的存在としての人間・私に注がれ溢れる喜び。この「存在の喜び」を、不自由な左手・指や杖を用いて喜びカタツムリの歩みをなしながら、しみじみ味わい知りました。
そして喜びの応答です。永遠の愛の交わり・三位一体なる神こそ、まさに人格的存在である人間・私の根拠である事実を、ヨハネ福音書からの説教・宣教において展開できればと願い、入院中の読書会また退院直後の主日礼拝で小さい一歩を踏み出しました。
さらには、医療の現場や医学教育における、三位一体論的根拠付けを展開できないか思い巡らしを始めたのです。
たしかに自動車修理工場における故障車と総合病院における患者の間には、類似関係があります。故障車の各部品を冷静に客観的に検討しながら車全体の修理がなされ正常な車として回復する。病院における患者に対しても、同じく冷静さと客観性が求められるのは確かです。
 しかし同時に、自動車修理工場における故障車と総合病院における患者の間には、明確な区別性も、当然ながら認める必要が絶対あります。
ところが現実には、この当然なこと、絶対必要なことが軽視されたり、見失われたりしていないか。要の一つは、医学教育のあり方であり、この点は、私なりに見聞きし関わって来た神学教育に対する私の不安と不満に相通ずると判断しています。」

★制約の中です。
しかし何もできないわけではありません。
様々な支えを見に受けながら、読みに読み、書きに書くと心を定めています。そうです。鍵は日常生活です。杖を突き、後遺症の影響、あの薬この薬を服用しながらの日常生活です、感謝。