留学中(1963年―1967年)、母典子からの手紙、先のものに加え、今回新たに5通、その2

留学中(1963年―1967年)、母典子からの手紙、先のものに加え、今回新たに5通、その2

★母典子は、1970年10月25日、50代の半ばで死去しました。50年近く前のことです。しかし矢倉光子姉が打ち出してくれた手紙を読むと、母の声が聞こえるようです。

1965年夏
其の後、御無沙汰して居りますが元気の様で何よりです。
こちらでも皆元気に過して居ります。先日は恵美子にまで洋服を有りがたう存じました。丁度大阪の方へ遊びに行くと申して居ります時だったので大喜びでした。寸法も丁度の様です。
 美喜子も大変大きくなり声を立てて笑う様になりました。土曜日から岩井へ行って居ります。初めてなのであちらでも大騒ぎの事と思います。今度の日曜に義男が迎えに行く事になってゐます。

 恵美子、三郎も今日から学校です。相変らず勉強がきらいな連中ですから思いやられます。恵美子も行かれたら短大へやる事として余り無理には言わぬ事にしてゐます。三郎は中学ですからまだ親の責任もありますから、先生にも来て貰っていますが、自分で好きでやるのではないですから効果の程は解りません。風呂屋の子供達も両親は別れてどうなる事かと心配しましたが、相変らず呑気にやって居りますから親の心配するほどの事はないものと思っています。

 貴方も早いものでもう二年になりますね。普通なら来年は帰れるのでせうが、どうなりますか。まあまあ君代さんと一緒なのですから、私達としては少し位おくれても其の方が帰国後有利なら仕方がないと思いますが、それが学校へ行ってもっと勉強した方がよいか、それ共そちらの教会にでも一時勤めて実地を見た方がよいか、色々問題はあると思います。日本に帰るとすれば取りあえづ寄居へでも落ち着くのでせうが、私共が考へると余り将来性はない様に思はれるのですが・・・・・
これからは貴方達も家族をたくさん持つ様になるかも知れないのですから、今からよくよく考へて置いて下さい。

 それから先日美喜子の洋服は一度六十円通関料をとられましたが、恵美子のは何も云われませんでした。其の内けづり節のよいのが手に入ったら送りたいと思って居ります。かつをぶしではけづる物がなくては駄目でせうから。家に居る小母さんが朝鮮な品物を送ったら品物よりづっと高い金を税関で取られたそうです。そちらはそんな事はないと思いますが・・・・・
では又便りします。