留学中(1963年―1967年)、母典子からの手紙、先のものに加え、今回新たに5通、その3

留学中(1963年―1967年)、母典子からの手紙、先のものに加え、今回新たに5通、その3

★母典子は、1970年10月25日、50代の半ばで死去しました。50年近く前のことです。しかし矢倉光子姉が打ち出してくれた手紙を読むと、母の声が聞こえるようです。

1965年初夏
手紙拝見しました。君代さんの手もよくなったそうで何よりでした。なれない土地での病院通い定めし不自由だった事と思います。言葉の方も大分なれました様で安心しました。何としても二人なら苦労があってもそうへこたれづにやっていける事と安心してゐます。

 先日横浜の華正樓と云ふ中華料理屋でクラス会(実践女学校)がありました。其の時在学中、Tさんと云い今はs姓になった友達と一緒になり其のお嬢さんが声楽の勉強の為ボストンに居ると云ふので、色々話が出ました。
其の人は昨年芸大を出てすぐ九月の新学期に間に合ふ様手続きをして渡米したのだそうです。中々積極的な人らしく親の方が其の計画に振り廻されてしまうとこぼして居りました。一番奨学金の多いところをねらったのだとか云ってゐました。今年からは声楽の方もお金を取って唄えるのだそうで、それまではピアノや唄をそちらの家庭の子供達に教えてゐた様です。教会でもよく唄う様に話して居ましたから、又会ふ機会もあるのではないでしょうか。
信子と義男と年が同じらしいですから、君代さんと友達にでもなれたら淋しい時等いくらかまぎれるのではないかと一寸住所を書いて置きましたからお知らせします。ボストンの町の内の様な話でした。
先日テレビでボストンの紹介がありましたが、其の時一寸顔が見えたとお母さんが大変喜んで居りました。何しても中々やり手のお嬢さんの様に話して居りました故、仕事でも探す様な時、力になってくれるのではないかと思って居ります。
Sさん(父の従姉妹、声楽者)等と同じ様な性質ではないかと思います。幸子さんの先生のH先生等もよく知ってゐる事と思います。お母さんの方は大変弱いと聞いて居りましたが、先日お会いした時の様子では随分お元気の様でしたからもし会ふ事がありましたら、其の様伝えて下さい。

先日岩手のお母さんからもお手紙頂きましたが、大変元気になられた様です。今日から六月に入りました。てる子さんの出産も間もない様です。其の内何か食料を送りたいと考えてゐます。経済的にも何かと苦労があると思いますが、しっかりやって下さい。
 自動車は必要品で早く買いたい事と思いますが、中々思ふ様に送金も出来ず心苦しく思ってゐます。其の内足りない分でも送りたいとは心がけて居りますが・・・・・