沖縄から、恩師渡邊公平先生へ、時に応じて手紙 その4

沖縄から、恩師渡邊公平先生へ、時に応じて手紙 その4

頌主
 九月に入り、本土では秋の気配が感じられるようになって来たのではと推察いたします。
 過日は、お心のこもったプレゼントをお送り頂き、感謝いたしました。お礼遅れ失礼いたしました。
 又吉姉妹の記念会直後、精神的病いで苦しんでいたIMさんの自死、告別式、記念会とまさに生きた神学の学びの日々でした。私なりに、また首里福音教会全体としても、深く主なる神の導きを受けております。もう一度教会が終末的存在として、この地上を旅する民として生かされている恵みを実感しております。
 渡邊公平先生を通し学ばして頂きましたものが、この地で根を少しづつ張りつつあります。感謝と共に。
1995年9月20日 宮村武夫 
渡邊公平先生

★当時の祈りの課題
①伊芸満君の記念式.その意味.意味の一つはIM君が首里福音教会の教会学校の生徒であったことを思い,今までの教会学校の生徒のその後を思い祈る.さらに連絡の道を求めて行く.そのために成人科が背後で祈り。

②復活の信仰に立つ葬儀
IM君,将来の墓地.墓地委員会のため
又吉幸子記念卓球大会の将来展望,召天者記念音楽・スポーツ大会,基金伊江島キャンプや主僕高校,次の世代のため.
天願悦子姉の記念誌,日記の出版.

★当時の説教の一節
パウロの出生、教育。
パウロは、「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人です」(3節)と、自らの出生ついて誇りをもって語り、「この町で育てられ」と続け、かなり早い時期、恐らく幼児期にエルサレムに移り住み、そこで育てられたとを明らかにしています。
何よりも、「ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け」(3節)た事実を強調しています。律法の学びのために、パウロは本格的な訓練、そうです、10代の後半から20代のかなりの時期まで、厳格な教育を受けたのです。
このような経験が、後のパウロ−信仰により義とされる恵みを受け入れ、これを宣べ伝えるパウこれを宣べ伝えるパウロにとりどれほど重要な意味を持ったか、彼の手紙を通して確認されます。
一般的言って、若い時に思い義務を負い訓練を受けることは、幸いです。
首里福音教会の各自が、それぞれの持ち場・立場で専門家、−例えば専業主婦として−厳格な訓練を受け、その厳しさの中で真実な神の慰めを受けたいものです。
 いずれにして主なるも、10代後半から20代前半の大切な時期を、生ぬるさの中で時を過ごしてしまうなら、主なる神の御前に真に申し訳ないことです。
IM君の前夜式で味わった(エレミヤ)哀歌3章25−32節をお読みします。
「主】はいつくしみ深い。
 主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
【主】の救いを黙って待つのは良い。
人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
それを負わされたなら、
 ひとり黙ってすわっているがよい。
口をちりにつけよ。
 もしや希望があるかもしれない。

  自分を打つ者に頬を与え、
 十分そしりを受けよ。
主は、いつまでも見放してはおられない。
たとい悩みを受けても、
 主は、その豊かな恵みによって、
 あわれんでくださる。」