民数記味読・身読の手引き その25 民数記25章 

民数記味読・身読の手引き その25 民数記25章 
民数記25章

(1)25章と22ー24章との関係
バラムにイスラエルを呪うことを依頼した、モアブのバラク。けれど呪いの代わりに祝福。
しかし祝福を受けた後に注意が必要、参照出エジプト記32章。私たちが教えられ続けている、恵みをむだにはしまいとのパウロの戦い、Ⅰコリント15章10節、参照Ⅰテサロニケ2章1節。

 25章では、モアブの娘たちとイスラエルのため、1節「みだらなこと」、2節「偶像礼拝」。不品行と偶像礼拝の深い結び付き関係は、聖書全体を通じて、繰り返し指摘されている、参照黙示録2章14節。

 イスラエルが目指すカナンにおいては、性的放縦と偶像礼拝が結びつき、それは農作物の豊饒を願うのため。そのような実態である約束の地へ入国のため、民に対する備えが必要。

(2)ピネハス、詩篇106篇30、31節。
5節、厳しいことば。
6節以下、不品行が公然と行われるところまで。
1節のときは、多分宿営の外で。
4節と5節は同じではない、4節に見る、主なる神の命令に対して、モーセイスラエルのさばきつかさたちに対することばは、「民のかしらたち」の責任を追求しない、いわば水増しと見られる緩やかな処置。
その中でピネハスが登場。ピネハスは決然と立つ、その結果さばきは止む。ピネハスの行為に対する評価、13節を中心に10ー15節。
 ピネハスの行為は恐ろしいことに見えるが、一番恐ろしいことはピネハスが立たず、罪が放置されること、さばきは神のご計画が進められていることを意味する。
 参照、16節ミデアンを打てとの命令。その理由18節、文頭に「なぜなら」と理由を示すことば。最後まで、信仰の戦いを求められるイスラエルの歩み、では私たちは。

(3)14、15節、ジムリ。
ジムリは指導者の一人。地位のある者の罪をはっきりさせる。

(4)バラムは、25章には直接登場しないが、バラムの欲心からの影響