民数記味読・身読の手引き その30 民数記30

民数記味読・身読の手引き その30 民数記30章
民数記30章

(1)誓願について
主なる神→モーセ→部族の頭→民全体。

(2)2節、人・男の場合、原則。ことば→実行

(3)3節以下、女の場合、原則に基づき、それぞれの情況が加味。
  古代中近東における誓願、一般的。この事実は、当時においても人のことばが頼りなかったこと。またことばが頼りにならなければ。社会生活に大きな問題。それ故ことばの信頼性が求められる。

 2節後半、ことばの重さ。イスラエルの日常生活において求められる。 このことの厳しさを示す実例として、士師記11章、エフタの場合。29節以下。エフタの誓願の内容が正しいかどうかが問題ではなく、口にしたことを守るという厳粛な出来事。

 イスラエルの民にこのようにことばの重さが求められているのは、主なる神ご自身のことばの真実さの故。主なる神のことばは、一点一画空しく地に落ちることがない。
参照詩篇119篇のすべての節、神の言葉の様々に表現を含む。神の民は、このような神のことばを聞き、神に祈ることを許されている。こうして主の民は訓練を受ける。

 ことば見えず消えていくように見える。しかしそれは止どまり記録され、審判のときを待つ。この原則に離れないように記録の実践。

(4)女性に対して考えられる限りの様々な条件。
未婚、既婚、誓願をした後結婚、結婚後誓願。やもめの場合など。

 このような様々が条件を上げている理由としては、以下のような説。
①女はその時々の気分や興奮で無思慮にものを言う傾向があるから(男も!)、父や夫がそれを思慮深く正す責任。

②女が社会的に弱い立場にある者(この場合、当時の社会での女の立場)。

(5)旧約の中の誓願について
申命記23章21ー23節。遅れずに果たせ。

箴言20章25節、軽々しく誓うな、興奮状態で誓うな。

伝道の書5章4ー6節果たさないより、誓はない方が良い。

ことばが真実であるように、信仰の告白において、日常生活において。 私たちの弱さとの戦い、主なる神に助けを求めつつ。参照ヤコブ3章1ー12節。