伊江島主僕キャンプをめぐって その1

伊江島主僕キャンプをめぐって その1
 
 多くのことが水に流さてしまい、私たち夫婦が20年以上首里福音教会で生活していた事実が全くなかったかのようにされている中で、思いがけず、伊江島の思い出がくっきりと。

★吉永のフェイスブックでのコメント
「また伊江島には、別の思い出がある。宮村師が提唱されて(おもに教会連合が中心。同盟ではわたしのところだけ)伊江島で夏のキャンプと春キャンプを持ったことが懐かしい。
 基本的には子どものキャンプなのだが、大人も参加して雰囲気のあるものになった。最初の頃は、海岸にキャンプ場があり、そこにテントを張ってのキャンプだった。なにせ夏の沖縄。暑さは半端じゃない。真夏の夜の夢どころではなく悪夢…。それでもテントの中で眠れる強者もいたが、私は早々ギブアップしてしまった。そのため民宿も利用しようということで次第にテントは、利用されなくなっていった。(まあ、タフじゃあないことが証明されたということ)
 特別講師は呼ばす、それぞれの参加した牧師たちが、御言葉の奉仕を担当した。手作り感のあるいいキャンプだったと私には思える。
 春は、また趣がカラット変わった。YYYイエリエリゾートホテルという高級ホテルを借りてのキャンプだった。シーズンが夏でないこと宮村師の交渉術が巧みなこともあって格安で利用できたようである。参加者の負担もそれほどでなかったのは素晴らしい!
 内容も夏とは違い、クリスチャンのドクター、クリスチャンの弁護士、クリスチャンの学校の教師などを講師に学ぶという興味深い内容であった。宮村師の伊江島にクリスチャンの小さな学校をという思いが先行した特徴あるものだった」 。

☆宮村の応答
「吉永先生、伊江島主僕高校、見果てぬ夢の一つ、しかもその一番重いものかも。
伊江島主僕キャンプの過程で、伊江島主僕高校の幻の中核は実現されたと慰めてくださった方がありました。あのように首里福音教会、JECAから切り離される修羅場の通過の中でも、営みの記録や資料は、基本的に保持。後世に残す責任あると考えています。
 何よりも組織や予算、神学教育のレッテルから時は解き放たれ、野垂れ死にを覚悟して君代と共に歩み出せたこと。重元先生や吉永先生など、真の主にある友と出会えたこと、伊江島主僕高校での最高の学びでした。それあっての、現在のクリスチャントゥデイでの「聖書をメガネに」の歩みです、吉永先生、感謝。