1970年10月25日、55歳の生涯の歩みを終えた母典子を記念ー1963年から1967年留学中両親からの手紙4通を再読 その3

1970年10月25日、55歳の生涯の歩みを終えた母典子を記念ー1963年から1967年留学中両親からの手紙4通を再読 その3

★母は、日本聖公会の教会で受洗した父のように目に見える形で信仰告白しなかったのは事実です。
 同時に、長男と三男の二人の牧師がこの母のもとで育てられ、牧師としての歩みの基盤を据えられたことも事実です。

1966年秋 父泰二より

「御便り久し振りで拝見、元気な様子で家中皆喜んで居ます。当地も拾月を間近にして朝夕はすっかり涼しくなりました。夏の頃はすっかりあけはなしてあった戸障子もすこしでもすきまがあるとしめて廻る様な案配です。
母も今年は正月早々から入院、退院、又入院と七月頃迄病院生活をしましたが、以後自宅療養が続き、九月初旬頃より熱も下がり、ねたり起きたりの情態でしたが、去る廿六日(月)の夕方、恵美子のおどりの会が明治座でありましたのに見物に出掛け、后心配して居ましたがケロッとした元気な姿に一安心して居ます。
廿五日(日)に寄居の教会に義男、てる子、美喜子と四人でドライブを兼ねて行って来ました。大変よく間取りなども出来て居て帰宅後典子共々喜んでいます。又久し振りでジーン、プライス先生、小谷野奥さん外皆さんに御会いしました。牧師館など中々住みこごちのよさそうな設計でした。今から君達住んで、お母さんと一緒に遊びに行く日を楽しみにして居ます。
家族の近況は母は前に書いた通り。
義男は朝から晩迄スタンドで大活躍。給油に作業にそして月末には支払で頭をなやまして居ますが元気です。
恵美子はバレー、日本舞踊と中々多忙で試験を目前にして友達からノートの寫しで毎晩二時三時まで頑張って居ます。
てる子さんは美喜子のいたづらに手に焼きながら晩の夕食作りに忙しい忙しいと連発。
三郎は相変らず母に勉強、勉強とおいまくられ六尺近い体をやせる思いで机にかじりついています。
尚、お手伝いの伯母さんが八月にやめて后若い人がきています。大勢なので夕食時は大変な騒ぎです。
父も至って元気で朝起きると美喜子と一緒に公園に遊び、事務所から帰ると夕食前再度公園にと、平凡な日々を過ごして居ます。
では又御便り致しますが元気で。
荷物等は後日御送りします。
君代さんも体を大切に。」