1970年10月25日、55歳の生涯の歩みを終えた母典子を記念ー1963年から1967年留学中両親からの手紙4通を再読 その2

1970年10月25日、55歳の生涯の歩みを終えた母典子を記念ー1963年から1967年留学中両親からの手紙4通を再読 その2

★母は、日本聖公会の教会で受洗した父のように目に見える形で信仰告白しなかったのは事実です。
 同時に、長男と三男の二人の牧師がこの母のもとで育てられ、牧師としての歩みの基盤を据えられたことも事実です。

★1966年7月 父泰二より
「「前略
便りと寫眞拝見いたしました。
大変良く取れています。家中で久し振りで見る元気な姿に何度も何度もお互いに取りっこで大騒ぎでした。皆さんの御陰です。本当に安心致しました。

当方も信子(従姉妹)の縁組で母もデパート廻りや仕度など、そばで見ていて又寝込まれてはと心配致しましたが、式後も元気でしたので一安心しました。
義男達も六月十四日に女子、無事出産致し一週間程、墨東病院で養生致し只今家に帰っています。名前は美喜子と命名致しました。
目下家内中が美喜子が目をさました、泣いた、寝ていると、大騒ぎです。美喜子の近況スナップを同封致しました。

又忠(従兄弟)の處でも二月に男子出産。与志也と云ふ名前を付け、もうすっかり大きくなり毎日の様に当方へも来ますので散歩に連れて行くと自動車など判る様になり面白くなりました。
美喜子も半年位経つと何でも判る様になると、その日を毎日数えています。
三郎は中間試験を終了。期末試験のために毎晩11時頃迄母と勉強中。相変らずやせっぽっちですが、身長は驚く程大きくなりました。
恵美子は卒業も迫り、学校の友達がやって居るとかで日本舞踊、バレー、生け花と中々意欲的に毎日寸暇もない状態。
義男は輝子さんが出産後事務所に事務を取る女子事務員も中々見付からず、スタンド現場も男子従業員不足で、事務と現場で大多忙を極めて居ます。
てる子さんは美喜子の世話に専念致して居ますが、初めての子供なので大変です。
又中村叔父が茨城を引揚げ上京致し、東京に勤務の予定です。多分7月中には新住所も決まる事でしょう。
又後日便り致しますが、体を大切に。

武夫 君代 様

7月1日
父より」