信仰の継承(世々の聖徒の交わり)                        宮村武夫先生壮行会説教

信仰の継承(世々の聖徒の交わり)
                川越弘牧師      
宮村武夫先生壮行会説教
                   
                詩編19編1〜5節
1コリントの信徒への手紙一15章3〜5節
★私たちのクリスチャントゥデイを中心とする働きと生活は、沖縄での25年の経験と出会いから切り離せません。
 この恵みの事実を、川越弘先生と重元清先生が呼び掛けて開いてくださった、私たちの送別会ではなく壮行会と強調された会での川越先生の説教が、年と共にさらにはっきり示してくれます、感謝。
 
☆「私が宮村先生の壮行会の礼拝の説教をすることは光栄なことです。
先生は25年間沖縄で働かれたということですが、私は2年前にこちらに来ましてちょうど交替になるような形になりました。私も先生と同じ25年間働けばちょうど90歳になるのですが、それだけ働くことは無理としても、なるべく長く沖縄で働きたいと思っております。
 
 宮村先生との最初の出会いは、1969年の春です。東京基督教大学の前身の東京キリスト教短期大学の学生の時でした。今から43年ぐらい前でしょうか。宮村先生はハーバード大学から帰り、東京キリスト教短期大学で教鞭を取られ、新約教団の寄居教会から通っておられた新進気鋭な先生でした。私たちは、先生の新約釈義の授業を新鮮な思いをもって受けました。

 今日の説教の題は「信仰の継承」、副題として「世々の聖徒の交わり」です。先生の講義を通しまして、私は私なりに信仰の継承、別の言い方をすれば教会の財産の継承と言いましょうか、「世々の聖徒の交わり」を経験しているということではないかと思います。
 パウロはコリントの信徒への手紙一の15章3節で、「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。」と記しております。
ここで「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです」と言って、神の言葉は受け継いで信仰は継承するものだと言うことを、語っております。私も宮村先生の新約釈義の講義から同じような経験をしております。あれから40年以上にもなりますが、その時の講義から問いかけられた神学的思索が、私自身の血となり肉となって歳を重ねるごとに新しく確認させ、牧師としての新しい生き方を歩ませ、今日、ここに存在しているということです。
それは、1コリント12章12〜27節の釈義です。そこにこうあります。「体は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。私たちは…、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。…全てが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても一つの体なのです。…体の中で他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。…それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が喜ぶのです。あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」。
ここから、キリストの体なる教会の「個と全体」を教えられました。頭なるキリストの肢体のそれぞれが全体を担うことによって、個が個として目覚めて行くというパウロの論理です。それは全体主義個人主義とか言うものではなく、個が全体に愛をもって責任を担って行くことから、個である私が目覚めて行くということです。
 この教えが私の心を取らえ、神学校の図書館で村田四郎の「パウロ神学の根本思想」という書物に出合い、そこにコリント第一の手紙12章12〜27節の釈義がありました。戦争中に書かれた黄色く赤茶けた古い本でしたが、そこに同じようなことが書かれていました。戦争中の全体主義皇国史観の真っただ中で、全体主義でなく個人主義でもなく、キリストの体において個が全体に責任を持つことによって個人として目覚めるということです。そこでいっそうの確信が与えられ、ここから私の個人主義から抜け出すことができたのです。牧師になって、さらにこの認識がいっそう深められました。私自身の訓練や信徒を指導することにおいても、キリストの奉仕に関して教会全体の責任を自分自身の責任のこととして担うことから、個々人の信仰が建て上げられていくということを、私の生き方のテーマの一つとしてきました。

 私は、1982年と1984年、同盟教団ヤスクニ委員会主催で、韓国の教会の視察に行きました。日本の植民地時代の朝鮮・韓国を巡る旅行でした。そこで衝撃を受けたのは、パゴタ公園に展示してある3・1独立運動レリーフを見た時です。
 また提岩里教会の迫害の事件とチョン・ドンネさんに出合った時です。そこで天地がひっくり返るような驚きを感じました。これまでの私の知っている日本の歴史は、日本から見た歴史でしかなかったのですが、韓国の人たちから見た日本の歴史を知ったからです。日本は植民地政策で韓国の人たちをどれほどしえたげてきたことか、日本の教会は朝鮮・韓国教会に何をしたのか、知れば知るほど大きな衝撃を受けたのです。

 私は戦後生まれですが、ここから教会の戦争責任、教会の負の遺産を担うことを考えるようになりました。キリストの体なる教会の痛みを自分の痛みとして行くこと、過去の教会の罪責を自分の罪責として、自分の問題として担って行くべきことを、このパウロの言葉から考え始めたのです。
 そして沖縄に2度、同盟教団の靖国委員会のツアーでやってまいりました。そこで知らされたのは教会の負の遺産でした。沖縄戦の時、牧師たちは信徒たちを沖縄に残したまま疎開したために、ヤマトの牧師たちへの不信感が強く根底にあることを知って、心を痛めました。
 私もいざ沖縄戦と同じ出来事に遭遇した時、すぐにヤマトに疎開するような者でしかないと思って、自分が悲しくなったのです。そして、ここでも教会の過去の責任と自分にのしかかって来る責任を覚えたわけです。そのようなわけで、結果として私が沖縄に来ることになったのです。私がすることは、太平洋に石を投げるようなものでしかありません。
 
 私がここに至ったのは、宮村先生という器を通して知った聖書の言葉が、自分の中で光を灯していたからです。消えるどころかその光がもっと輝き出して、今の私を形造って宣教の道を歩み出させているということです。
そのようなことで、パウロは「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです」と言っておりますように、神の言葉と信仰の生き方は、前の世代から継ぐものであることを、経験してきたわけです。こうして信仰の財産を受け継ぐといいますか、人間としての生き方の財産を受け継いで、この財産をこれから生きる次の世代に継承して行くということが、「聖徒の交わり」ではないかと思うのです。
 聖書を読むということは、一人で読むのではなく、信仰の先達や多くの兄弟姉妹と共に聖書を読んで真理を確かめると言うことと思います。それは古代から宗教改革から今日に渡って、世々の教会の兄弟姉妹と共同して聖書の真理を確かめ、恵みを共有しているということです。共同して信仰の真理を確かさと恵みを共有して次の世代がそれを担う、それが私たちの信仰告白ではないかと思います。
 科学は新しいデータ‐を調べて分析したりして発表することですが、10年後50年後100年後には、新しい発見と新しい発表がなされ、それに付け加えられたり覆えされたりひっくり返されたりします。学問はすべてそういうものです。
 ところが信仰告白は、それと性質が異なっております。神の言葉ですから、私たち人間は神の言葉を把握できませんので、多くの信仰者と共に聖書を読んで真理を確かめ合うのです。キリストから直接聞くだけでなく、前の世代の聖書の読み方を学びつつ、キリストから聞いて行くという仕方です。これまでの聖書の読み方や信仰告白を、習慣的にそして盲目的に受けとめるのではなく、今の時代を生きる者として、これまでの聖書の釈義や信仰告白をさらに鋭意に吟味して、そうして同じ神の真理をさらに新しく確認し、それを次の世代に継承することです。パウロは、「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです」と言っているのは、そういうことです。このことを私も信仰の先達から受けて同じ経験をしているのです。
 
 宮村先生は、これから千葉県の市川市で新しい生活を始められます。先生は自分のことを、「十字架を背負うカタツムリ」と言っておられます。じっくりと腰を落ち着いて、目の前にどんな障害があろうとも、いつも前に向かって歩き続けるカタツムリだというのです。先生は、また、歳を重ねて行くことは常に前に向かって歩むことなのだ。死を迎える生き方は、昨日よりも今日、今日よりも明日と一つ一つ常に前に向かって、目の前にある壁を超えて行く生きることだと言っております。このようにして自分の死を迎えることは、私たちにとって励みです。私たちに、キリストの復活があるために、このようにして歳を重ねて行くことが出来ることは幸いなことだからです。
 
 聖書には「世の終わり」という教えがあります。私たち信仰者はこれを希望として信仰の闘いをしております。「世の終わり」は、「世と世の慾が過ぎ去る」ことで、キリストの真理が世界を覆うことです。人間の慾と偶像礼拝は過ぎ去り、アルファーでありオメガー・始めであり終わりである神の真理だけが世界全体を包み、神の真理に完全に従ったキリストが世界の中心に立ちます。
 こうしてキリストが再びおいでになることは、十字架上で私たちの罪を償ってくださった御方が再びおいでになることですので、私たちにとっては、慰めであり希望です。キリストから信仰をいただいた私たちは、信仰の闘いをしているのですが、まるで敗北者のような信仰の闘いです。それでも、キリストの再臨は、十字架上で私たちの罪を償ったキリストが来てくださることですから、私たちの不完全な信仰と不十分な服従と奉仕を、キリストの方から完成してくださるために来てくださいます。ですから、足りない私たちの信仰と足りない奉仕であっても、私たちは精一杯差し出して行くようにしてくださいました。
 宮村先生は東京から沖縄を新しく見つめ、その視点からオピニオンリーダーとして後輩を指導して行くビジョンを持っておられます。
 私たちも同じように、沖縄のこの場所で、沖縄という歴史をもった中で、沖縄の課題を担いながら、教会形成と宣教の働きをして行きたいと思っています。私たちは世の終わりの希望とキリストの再臨というキリストの罪のゆるしの励ましの中にあって、励んで行きたいと思っています。
宮村先生もそう願っておられることではないかと思います。お互いにキリストの再臨を待ち望んで、与えられた務めを邁進して行くことが出来れば幸いです。
 タラントのたとえのように、自分に与えられた1タラントを地面に埋めるのではなくて、足りない信仰と足りない服従と奉仕であっても、キリストが償ってくださることを信じて、精一杯人生の終わりまで捧げて、お互いに歩んで行きたいと思います。