城間喜代子姉訪問のメールを嶋本姉から受けて

城間喜代子姉訪問のメールを嶋本姉から受けて

 2個月に1回拙宅で祈祷会を持つフェリア会の嶋本姉から、杉並の施設で生活をなさっている、城間喜代子姉を最近訪問なされた様子を伝えるメイルを頂

きました。
 嶋本ご夫妻の案内で、私たちが沖縄でよく存じ上げていた城間道子姉の四女・喜代子姉を、今まで2回も訪問しました。嶋本姉は、私たちが喜代子姉の母上を存じ上げていることを最初知りは驚かれました。私たちも、道子姉の四女を嶋本夫妻の近くに生活なさっているのも驚きでした。こうして主の恵みの出会いがなされたのです。

 喜代子姉の母上・城間道子姉が百歳を越えてオリブ山病院の老健施設オリブ園に入園中、月に一度首里福音教会の有志が訪問、園の主日礼拝に参加私が宣教、幸いな主にある交わりを重ねていたのです。
 道子姉ご夫妻は、首里の名家で泡盛酒造を家業としておられた中で、キリスト進行に導かれ家業をやめ、後に独自の健康薬を製造販売なさる歩みをなさった方です。喜代子姉は、母上からしっかり信仰を継承しておられ感謝です。

 さらにうれしいことには、喜代子姉が、戦後間もなく、平良修先生と外語学校の同級生であったころの思い出に話が弾んだり、長女姉が那覇バプテスト教会に属されておられ、国吉守先生の話題が出たりなどなど。訪問の最後に、力強く喜代子姉が祈られ、心満たされ帰宅したのでした。。
 今、喜代子姉が少しく体力が衰え、私も制約があって思うように訪問できない中にあっても、なおも許さている方法、恵の手段を通して、主にある交わりが続け深められるよう願います。

★喜代子姉の母上・城間道子姉は、「私たち三人で三百歳」とユーモアたっぷりの良し三人組の中心でした。沖縄から書いた、キリスト新聞のコラム、「百歳の励まし」を再録します。

「百歳の励まし」
「ヨセフは父の家庭と共にエジプトに住み、百十歳まで生き」(創世記50章22節)
 
聖書が年令を記している人物の中で、創世記のヨセフは、特に興味を引きます。十七歳(37章2節)、三十歳(41章48節)、百十歳(50章22節)と三回も年令を明記しています。 
1986年から沖縄に滞在していた25年の期間の中で、二十年近く毎月第4主日の午後,老健施設オリブ園の主日礼拝にあずかり続ける中で、ヨセフの記事は一段と親しみ深いものとなりました。八十代、九十代、さらに百歳を迎えて主の御名を讃美なさっている方々の姿に接しながら、おひとりびとりの十七歳をヨセフのそれに重ねて心に刻むようになったのです。十七歳のヨセフは、胎児(詩篇139篇13ー18節)から一つ一つの段階を経て、最後には家族や故郷から切り離され新しい環境に移されたのです。 
 またおひとりびとりの三十歳を、三十歳のヨセフを通し思い描くのです。逆境の中、次々に与えられた場で忠実に役割を果たし続け、三十歳にして生涯の使命を与えられたのでした。委ねられた使命を果たし続ける、あのヨセフの姿に重ねて各自の三十歳を透かし見るのです。
 何よりも三十歳から老健施設オリブ園での生活の場に至るまでの年月、沖縄の戦後の歴史のただなかを歩み続けられたおひとりびとりの歩みの重さに圧倒されるのでした。今,ヨセフのように(創世記50章19,20節)、ご自分の生涯を導いてくださった主なる神の恵みを認め告白し、主なる神の御名を讃美しておられる姿。
「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから」(50章25節)と将来への希望をご自身の存在をもって指し示し、接する者に生きる励ましを与えてくださっていたのです。
 百歳になられた仲良し三人組が、「私たち三人で、三百歳」と、なんとも魅力的な物言いで、訪問する私たちを励ましてくださった姿―城間、稲福、島袋三人娘―を忘れることができません」。