先日沖縄の金城重明先生との電話、それが契機に

先日沖縄の金城重明先生と電話、それを契機に

 先日、久しぶりに、沖縄の金城重明先生へ電話を差し上げました。72回目の8月15日を前に、クリスチャントゥデイにご執筆願えないか依頼の電話でした。その希望はかなえられなかったのですが、金城先生との思い出を書く許可を頂きました。

★沖縄での神学的営みは、それなりの課題をめぐるものです。しかし何よりも人と人との出会いが恵みの中核で、少なくない方々との主にある恵みの出会いを与えられ感謝です。
 その中で、特に忘れがたい先輩説教者が金城重明先生です。

2010年8月9日午前中、通所リハビリ施設つばさでリハビリ中に、沖縄戦の真実の証人・金城重明先生から携帯へ電話がありました。午後2時からNHK教育テレビ「こころの時代」の番組で、金城先生の対話・「人は希望によって生きる」の再放送があるとの連絡。
 最初の放送の時は、私一人で見ました。2009年12月13日NHK教育テレビの「こころの時代」の時間で、12月18日に脳梗塞発症・入院の直前でした。
 放送の翌日12月14日(月)那覇中央教会朝祷会で語ったのが、私にとり脳梗塞発症前最後の説教でした。
 那覇中央教会の朝祷会は、金城先生との交わりにおいて特別な意味がある場です。
最初に朝祷会で説教した際、司会の金城先生が、「宮村先生は、沖縄の教会の宝です」と紹介なさったのです。いくらなんでもと耳を疑いました。
 しかし金城先生の心は、私のような者に見る生き方と切り離さない徹底した聖書信仰に向けられ、それなくして沖縄での教会形成はありえないとの主旨でした。
 
 金城先生ご自身が十代の時、極限状態の渡嘉敷で、南洋群島から引き揚げてこられた棚原俊夫さんから、「この本を読んでごらん」と差し出された聖書。その聖書に引き込まれるように読んでゆく。その後の先生の生活・生涯のすべては、この聖書との出会いが基盤で、聖書の導きによるのです。
「聖書のみにすがって生きる」(『本のひろば』2010年6月号、佐藤全弘師書評)者として、私なりに金城先生からバトンタッチをしっかりと受け止めたいと切望するのです。
 再放送の時は、君代と一緒に見ることが出来、番組を見終わった直後、金城先生に深謝の電話をいたしました。

☆2011年5月、25年振りに沖縄から関東に戻る前に、金武先生に、沖縄での最後の手紙を差し上げました。
「2011年3月7日
金城重明先生ご夫妻

頌主
先に頂いておりました、金城先生の論文、「パウルティリッヒ存在論的神学の方法論に関する研究」を、この何日間熟読しています。
私の著作5のタイトル『神から人へ・人から神へ』が指し示している主題とかさなると理解しました。至福のときでした。

25年の沖縄での生活の後、千葉市川に移住することになりました。
5月24日の沖縄からの旅立ちを中心に、大切な日程が決まりつつあります。
昨日3月6日、名護チャペルの協力宣教師としての立場決定
3月13日、沖縄聖書神学校卒業式
3月20日那覇バプテスト教会主日礼拝宣教担当
など

主日礼拝、その他宣教の機会などがさらに与えられるためにお祈り頂ければ嬉しいです。特に日本基督教団関係で。
「沖縄へ」からの25年の回顧・締めくくりと同時に、「沖縄から」の出発・展望のときとして恵みの日々です。

著作7『存在の喜び』が、近く刊行されます。その案内を、
『恵みから恵みへ』100と共に同封いたします。

新しい月の日々の上に、祝福が豊かにありますように。

 忍耐と希望(ローマ8章25節)
  宮村武夫・君代

「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、
あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、
あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。」(Ⅱコリント章10節)」

★心を締め付ける悲しみ、神学校の責任は
 私たちが、関東に戻って以後、金城先生について心を締め付ける悲しみが伝わってきました。福音派を自称する後任牧師により、金城先生の教会での場所が認められない状況が生じているるとの、信頼できる複数の方々からの報告です。勿論、こうした事柄の事実確認の必要とその困難は承知しています。
しかし一般的な状況と私自身の経験、今回の事態ついてのそれなりの知識から、心を締め付ける悲しみを感ぜずにはおれないのです。
 そして神学校が卒業生の異常事態に対し、どのような責任があるのか。具体的に、東京キリスト教学園は、沖縄地区の多数の卒業生のよき働きを通して評価を受け、そこから受ける支援を受け組織的つながりをさらに強めようとしても、今回のような事態に対してはダンマリたぬきを決め込むことが許されるのか。少なくとも私個人そうはしないと、今回の電話を契機に、改めて心定めました。