いつでも、どこでも、ギアの入れ替え無し

いつでも、どこでも、ギアの入れ替え無し

 私は、「聖なる公同の教会を信ず」と信仰告白し、そのように開成高校聖書研究会の一員として生きて来ました。
 そうです、そのように、アッセンブリーの母教会で生き、日本の福音派(私はこうした呼称は嫌い)の神学校、アメリカの福音派神学校、ハーバートや上智大学神学部で生きて来ました。
 思いもよらない人の思いもよらない言動で、行くところがなくなり、25年沖縄で生かされました。
 再び思いもよらない人の思いもよらない言動で、組織の教会から離れ、ある教え子の表現で言えば、難民のようにな姿で関東に戻って来ました。これまた、ある人の表現によれば、説教の謝礼を受けることを生業としていました。

 その時、高校時代から私の神と富にかね仕えないとの生き方を背後にあって案じて来てくれた方の紹介で、40歳以上年下の矢田社長に会い、1年間、毎週面談し、この人は、騙されることがあっても、私を騙す人ではないと確信。
 さらにエステル4:10の「この時のため」に励まされ、月給10万でクリスチャントゥデイの働きに参与する決断をなし、2014年4月から今年の3月まで、生涯で最も自由に表現できる環境の中で、思索しつつ書き、書きつつ読み思索してきました。
 4月からは、論説主幹として、論説部門の充実のため専念し、高校の後輩、敬愛する阿久戸先生を論説委員として迎え励まされ、この時代の課題に応え得る僕仲間の形成をと願っています。

 私は、19歳の時全集を通して内村鑑三に出会い、「教育者としての内村鑑三」とのレポートを書き、生涯を導かれてきました。
 今、「ジャーナリストとしての内村鑑三」との小論を書きたく願い、備えています。主の導きと支えの中で、先達のように、小なりとは言え、本来の人間、私らしい私として生き、死にたいと心しています。