青梅、新井オイツ姉の励ましと戒め

青梅、新井オイツ姉の励ましと戒め

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 新井オイツ姉は、秩父の山間地区の出身です。私が、1985年秋日本クリスチャンカレッジ1年生のお時から、埼玉寄居の開拓伝道をお手伝いした、ジーンズ宣教師とプライス宣教師を通してキリスト信仰に導かれていました。

「私女中」と、独特の自己紹介をなさる方です。私たちが、埼玉の寄居を離れ、1970年4月からの青梅キリスト教会で牧会を開始したとき、毎週の祈祷会・聖書研究会で創世記から申命記までモーセ五書を一章づつ読み続ける原則の確立した中で、各集会で私が話した内容をほとんど文字どおりに書き留め、次の週に清書したものを手渡してくれる、大きな役割を果たしてくれました。十数年間書き続けられた、かなりな枚数を、私は青梅から沖縄まで持ち運みました。
 循環的な通読により蓄えられたモーセ五書全体の有機的な結びつきに対する揺るぎのない確信と共に、新井姉と私の合作とも言うべき資料は、申命記講解など執筆のため少なからぬ助けとなりました。

 そうです、毎週の祈祷会・聖書研究会で創世記から申命記までモーセ五書を一章づつ読み続けたのです。旧約聖書から分離して、新約聖書は、真に理解できない。そして旧約聖書の全体的構造を考察するなら、モーセ五書が基盤・基礎である事実は明白。それゆえ、キリスト者・教会が聖書に聴従しつつ前進し続けようとするなら、モーセ五書に徹底的に踏みとどまり、深く豊かにそのメッセージを味読することは絶対必要ではないか。
 来る月も、来る年も毎週モーセ五書から一章づつ読み続け、申命記三四章を読み終えたなら、その翌週は、創世記一章に戻るのです。1970年4月から986年3月まで、この基本線に従いモーセ五書を群れとしても個人としても味読し続けたのです。
 新井姉は、青梅の施設に入居され幾年か経過します。記憶もだいぶと言った状態です。しかしちいロバ聖書集会の鮫島ひふみ姉が、新井姉が入所する前から、何年も、何年も、その施設を訪問聖書研究会・祈祷会を持ち続けています。今、新井姉は、その集いで祈り続けておられるのです、感謝。