記事を書くのも読むのも、根本はローマ12:15への応答

記事を書くのも読むのも、根本はローマ12:15への応答

 クリスチャントゥデイに対する取材拒否の声明や異端の支配を受けているとの風聞のため、一切記事やコラムを読もうとしない方々。
 他方、クリスチャントゥデイの信頼性について根本的な判断を停止して、数多く掲載される記事やコラムを実際に利用して益を受けていると言明なさる方々もおられます。
 
 このような現実に直面しながら、なぜ記事を書くのか、原点を再考しています。記事を書く目的のため、取材の対象の方々を手段として利用しない。その方の喜びを共に喜ぶ、悲しみを共に悲しむ(ローマ12:15)。この原点に根差して、全ての取材がなされ、記事が書かれていく。掛け替えのない人格を、自分の目的の手段にしたり、利用したりしてはいけない。この覚悟を保ち、地道な歩みを続ける中で、単に利用される記事ではなく、報道機関として深く信頼され、それ故に信頼をもって読み、理解され、共鳴を生む記事が書かれていくと期待します。
 30代から60代の年月、聖書解釈の授業を、三つの神学機関で担当してきました。私なりに自問してきた課題の一つは、聖書に対する聖霊ご自身の導きによる信頼です。聖書を自分の目的のために利用する実態から解き放たれの出会い・聴従への道のために。