新しいパソコンの活用に心を備えたい

新しいパソコンの活用に心を備えたい

 週の後半、パソコンの具合が悪く、日々の役割を果たすため難儀しました。その中で、個人としてまたクリスチャントゥデイ全体として、いかにパソコンの能力に支えられているか改めて実感しました。
 
 確かに、情報社会のただ中で、資本と組織の大きさが全てを左右し、決定するかに見えます。しかしその現実と、1サムエル17章を重ねて読み、なおインターネット新聞を少年ダビデの手にある小石と見、励まされてきました。そして小さく弱い私たちが、使命を果たし続けるため、備えられている恵みの道具としてのパソコンのありがたみを実感します。
 しかし要は、この恵みを活用する人間如何である側面をもしっかり受け止め、具体的な助けに支えられながら、新しいパソコンの活用に心を備えたいのです。