大谷裕文・塩田光喜編著『海のキリスト教 太平洋島嶼諸国における宗教と政治・社会変容』7月15日、明石書店

大谷裕文・塩田光喜編著『海のキリスト教 太平洋島嶼諸国における宗教と政治・社会変容』7月15日、明石書店

「よう大統領」と、土俵に向かって掛け声を掛けたい思いです。
 この書について、記者から編集会議で初めて聞いてから、どのくらい経過したでしょうか。期待し、待ち望んでいた著書が出版され、このように簡潔に紹介されているのです。2016年7月15日初版第一刷発行の本書を、この時点で取り上げる。クリスチャントゥデイらしいといささかの自負を覚えます。
 本書が本格的な論文集であることは、本書編纂の意識や目的、そして論文の一覧表からも明らかです。今後十分な時間をかけて内容を熟読していく価値と必要があることは明らかです。現時点で2つの期待をお伝えします。
 1つは、本書が沖縄の教会で深く受け止められ、沖縄の諸教会と太平洋島嶼諸国の諸教会との具体的な交流が繰り広げられることです。そうです、太平洋島嶼諸国の有力な1つとしての沖縄の自己認識です。中央と地方の架空の意識に基づき作成された地図ではなく、地球儀が指し示す地理的位置に根差す地理感。そこから生じる豊かな教会同士の交わりを夢見ます。
 もう1つは、島国日本の再認識です。私の小学生のころの意識には、島国日本と強くありました。いつのころからでしょうか。島国日本との意識も言葉も私たちの中から消えていったのは。本書を1つのきっかけとして、イザヤ書などに出てくる、「島々」とメシア預言の関係をメガネに、島国日本の意識の再確認の必要を覚えるのです。
 なにはともあれ、本書を手にしながら考えます。太平洋島嶼諸国から、沖縄キリスト教学院大学や大学院に、次々と留学生が学びに来る。そしてかつて軍事基地があった広大な場所は、太平洋島嶼諸国の多様な文化と固く結ばれ展開していく芸術活動の聖地、文化活動の基地となる。そんなことを思い描かせる原動力を本書はうちに秘めているのではないでしょうか。


大谷裕文・塩田光喜編著『海のキリスト教 太平洋島嶼諸国における宗教と政治・社会変容』7月15日、明石書店

太平洋の島嶼(とうしょ)諸国におけるキリスト教。この地域ではその住民の大多数がキリスト教徒であるにもかかわらず、日本語では類書がほとんど皆無に等しい。本書はこのテーマに関する論文を集めた、貴重な労作である。

編著者や執筆者たちはキリスト教神学者ではなく、文化人類学社会人類学などを専門とする人類学者である。本書はやや専門的で高価な本であるとはいえ、トンガ、パプアニューギニアニュージーランドソロモン諸島における政治・社会の変容の中でキリスト教がどのように広がり根付いていったのかが、人類学の視点からダイナミックで歴史的なアプローチで論じられている。

本書では、編著者の1人でジェトロ・アジア経済研究所開発研究センター主任研究員であった故塩田光喜氏が、「プレリュードとフーガ」「序章 海のキリスト教総論」を著している。続いて、もう1人の編著者である大谷裕文氏(西南学院大学国際文化学部教授)の「第1章 トンガにおける王権とキリスト教―植民地宣教期から民主化運動期へ」、そして再び塩田氏の「第2章 神の国、神の民、聖霊の風―パプアニューギニアにおける聖霊運動と神権国家への希求」が収められている。

さらに内藤暁子氏(武蔵大学社会学部教授)の「第3章 マオリキリスト教」、石森大知氏(武蔵大学社会学部准教授)の「第4章 信仰から開発へ―ソロモン諸島の独立教会における『新しい生活』の変遷」、それから馬場淳氏(和光大学現代人間学部現代社会学科准教授)による「第5章 辺境の牧師たち―パプアニューギニア・マヌス島のキリスト教と伝統」がこれに続き、最後に大谷氏による後書きで締めくくられている。

大谷氏は本書のようなキリスト教に関する人類学的研究において、①「コンテクスチュアリゼーション(文脈化)」の問題、②キリスト教信仰およびキリスト教倫理の基底性、③キリスト教信仰のアンティノミー(反権力性と権力性)の3点に特に留意すべきだとしている。

大谷氏によれば、「当該文化のイディオム・慣習・伝統にゴスペルを適合させること」を意味する「コンテクスチュアリゼーション」という神学者や宣教師の概念は、今や人類学においても重要な概念であり、西洋キリスト教信仰への無関心がそのコンテクスチュアリゼーションにおいて顕著に顕(あらわ)れた結果、太平洋のキリスト教の特質が生み出されることになったという。

その一方で、「ハビトゥス」(感情・思考・実践の深く体に浸透した癖)として②のキリスト教信仰およびキリスト教倫理は、大谷氏によれば、今日に至るまで、太平洋島嶼国の人々の思考と実践を生成し、それらを基底的に方向付けてきたという。

そして太平洋の島々を含む非西洋社会におけるラディカルな政治・社会批判が、キリスト教信仰の原点への回帰という形をとることが多いのは、キリスト教の根源的な反権力性に関わる現象であると見ることができるであろうと、大谷氏は述べている。これらは、太平洋諸国のキリスト教が持つ特色を知る上で、興味深い視点であると思う。

塩田氏は1996年に「太平洋島嶼諸国のキリスト教」という調査研究報告書をアジア経済研究所からすでに出していた。これは同研究所や園田学園女子大学東京外国語大学同志社大学の図書館に所蔵されている。しかし大谷氏によれば、本書が生まれることになった直接的な契機は、その翌年に同研究所でスタートした「太平洋島嶼諸国におけるキリスト教と政治・社会変容」研究会だという。

ちなみにそのころ、筆者はミクロネシアマーシャル諸島共和国にある教会を取材で訪れていた。その後も2004年に南太平洋のフィジーやツバルの教会を取材したことがある。太平洋と一口に言っても広大な地域であり、今後はそうしたところも視野に入れた日本語の本が出版されることを期待したい。また、太平洋島嶼諸国と日本に住むキリスト教研究者や教会関係者が協力してこの地域のキリスト教に関する本を出してもらえたらとも思う。

そして、日本語でこの地域のキリスト教に関心を持とうとする方々には、戦時中までの日本との関わりの歴史を含めて、太平洋諸国の教会を自らの隣人として受け止め、できれば実際にそれらの教会を訪れてほしいと思う。それによって、太平洋諸国のキリスト教が持つ豊かな特色とそこに住む人々の信仰と生活、そして美しい自然と、戦争・核実験・気候変動や貧困・グローバル化などの影響といった危機の現実に触れ、自らを振り返ることにつながるのではないだろうか。また、太平洋島嶼諸国出身のキリスト教徒は日本にもいる。そうしたつながりの中で本書を読むことで、太平洋島嶼諸国のキリスト教について理解をさらに深めることができるだろう。

なお、本書の関連文献として、とりわけ、塩田光喜著『石斧と十字架―パプアニューギニア・インボング年代記』(彩流社、2006年)、同著『太平洋文明航海記(キャプテン・クックから米中の制海権をめぐる争いまで)』(明石書店、2014年)、そして石森大知氏の著書『生ける神の創造力―ソロモン諸島クリスチャンフェローシップ教会の民族誌』(世界思想社、2011年)、それから長年パプアニューギニアソロモン諸島などに関わってきたカトリックのシスターである清水靖子氏の著書『森と魚と激戦地』(北斗出版、1997年)、そして太平洋教会協議会(PCC)の元リサーチ・インターンである雀部真理氏の「特別寄稿 パシフィカ 太平洋の島国の信仰と歌声」『礼拝と音楽』124号(日本基督教団出版局、2005年)を挙げておく。