1990年代、沖縄から、高橋三郎先生への手紙 その5

1990年代、沖縄から、高橋三郎先生への手紙 その5
★個々の聖句がバラバラでなく、聖書全体が有機的に結び付いている。
同様に、私たちの生活と生涯の個々の事柄もばらばらの偶然の集まりでなく、神の摂理の御手にいる、神のご経綸の中での事実との確信が、高橋先生との文通を通しても深められました。

頌主
 高橋三郎先生の日々の生活の中から、『十字架の言』七月号が沖縄の地まで届けられる恵み、心より感謝いたしました。宮城航一・さおり宅での、七月の『十字架の言』の読書会では、六月号をともに味わうことが許されました。日曜日の午後の読書会には、首里福音教会の牧師としての私にとり、年とともに参加が困難になることごとも生じて来ますが、この度は教会の責任の合間に自由な時間を与えられました。
 
各自の感話の際、私は高橋三郎の「ご挨拶」の中の文章、「今にして振り返ってみると、神様のご経綸はすでにあの時から(いや更に遠く四十七年の昔、同じ学校の教壇に立っていた当時から)始まっていたと言うことがでるでしょう」(Ⅰ頁、三段目)について取り上げさせて頂きました。高橋三郎のお書きになる文章の中で、印象深く用いられてまいりました。この表現が、『十字架の言』七月号を通し、高橋集会の方々に継承され根ざしている事実を確認させて頂きました。
小林昭子様は、「イエスはその苦悩と絶望を全身全霊で受けて、御自身の為には神の子の力を発動されません。それを受ける事こそ父なる神の御心であり、サタンのこの最終的攻撃さえも、人類の最終的救いの為の御経綸の内にあった事だったのです」(七頁の三段目)と、救いの歴史の中心をこの表現を用い言い現わされています。また、「この決定的分岐点を我が身で示した事で、ユダは憐れみの内に神の経綸に使える者とされたのではないでしょうか。」さらに「彼らは“神の子を嘲る”という姿を体現する者となって、その罪が罪であることの証言者として、憐れみの内に神の御経綸の中へと抱き取られていったのではないでしょうか。」と。
『十字架の言』の一読者として、私自身も『神の御経綸』について深く学ばされております。一九八六年四月よりの沖縄移住先立って、宮城御夫妻を紹介くださったのは、長男忍望の愛農高校の担任尾形先生でした。
 
実は、昨日の首里福音教会の主日礼拝には、愛真高校の卒業生、在校生四名が出席しました。五十名にも満たない大人の出席者の中、しかも遠く沖縄の教会の聖餐式を守る第一主日の礼拝においてです。驚きともに、まさに神様のご経綸の中を歩まされているあわれみと慰めを痛感いたしました。
一九八七年七月一九日のクリスチャン新聞に、「病床にある姉妹へ」との題で、首里福音教会の新会堂と高橋三郎先生との深いかかわりについて記させて頂きました。ところが、一九九五年八月六日の、その会堂での首里福音教会の主日礼拝に、高橋三郎先生が心血を注がれている愛真高校の息子、娘たちが参加している。これをして、神のご経綸と言わずとして、何と表現したら良いのでしょう。
鮫島真理亜さんは愛真高校を卒業し、この四月から沖縄キリスト教短大で学び、首里福音教会の客員として礼拝しています。真理亜さんが沖縄を訪問中の愛真の同級生宮澤さんと一緒に礼拝に出席したのです。九州を自転車旅行して来たという辻君は、同級生の石川あゆみさん家族の紹介で、首里福音教会の学生センターに宿泊中。・・・
昨日の夕食は、私どもの食卓に愛真の四名の若者を含め、幾人もの方々が集い、誠に感謝でした。重元御夫妻とふみちゃん、重元先生は日本福音キリスト教会連合の石川福音教会の牧師で、東京農大の学生以来の主にある友人です。忍望の愛農進学を心から喜んでくれた、数少ない方々の一人で、東京農大卒業後、恵泉短大の園芸科で三年務め、その間恵泉で育てられ園芸科を卒業した宗子さんと出会い、聖書神学舎での三年間の学びの後、沖縄へ来られる直前結婚されました。石川福音教会は吉浜さんの住所から近く、親しい交わりを続けておられます。重元ご家族の西表訪問は友和村だよりにも紹介されていました。
重元先生は、首里福音教会の農業キャンプから伊江島中高生キャンプ(姉妹教会六つの協力)への歩みの中で、実質的に大切な役割を果たしてくれました。夕食会には昨年四月東京基督教大学を卒業、婦人牧師として宜野湾の琉大キャンパスの近くで開拓伝道に励んでいる広瀬師。
また現在東京基督神学校の二年生で、夏期研修として私ども六つの姉妹教会で一箇月余、研修と奉仕を続けてくださる高山神学生、彼女は私の聖書解釈学、新約関係の授業の学生でした。
さらに、アメリカ人と結婚し沖縄で生活しているハンナさんとご主人。高山さんとハンナさんは、私どもが青梅キリスト教会に奉仕していた頃、毎年一度牧師家族の退修会で交わりをもっていた牧師家族の娘たちで、赤ちゃんの頃よりよく知っています。
主日の夕べ、愛真の四名を加え、実に楽しい食卓の交わり、夕後の語らいが与えられました。真理亜さん、ハンナさん、高山さんの赤ちゃんや幼児期の写真をお見せしたり、日本クリスチャン・カレッヂ(現東京基督教大学)の学生時代、待晨堂で偶然のように求めた、高橋三郎先生の『無教会主義の反省と未来展望』を愛真の四名に手にして見てもらったり。一九五九年の一冊の本との出会いと三五年後の沖縄の牧師宅の夕食の交わり。『十字架の言葉』を通し教え続けて頂いた、また頂いている、神様の御経綸理解の一端として、恵みへの応答とさせて頂きます。
 
ハンナさんは月末ワシントンD.Cへ移住されます。彼女の父、荒井隆志牧師は八王子キリスト福音教会牧師、視力障害者福祉伝道協力運営委員長として、「障害者問題についての“神学の試み”」を積み重ね、また聖書と精神医学の関係についても着実な探求を重ね、『病気の時にどう祈るか』(いのちのことば社)など著作活動もなしている方です。軍人の妻として異国での生活を始めるハンナさんにとり、昨夜の楽しいひとときはよい思い出になる。こうした形でも、愛真高校の波紋は思いもよらない所へと広がって行くことを予感します。   交わりに同席した、私どもの里子であった太郎も今は、理学療法士として、近くのオリーブ山病院で働いております。中一の末子新も、昨夜の人々の楽しげな会話を通し心に刻まれたこと、少なくなかった様子です。 
 夕食後の笑声の中、青梅の鮫島茂兄より電話があり、今週の友和村訪問(昨年伊江島中高キャンプの際は台風のため途中で急遽西表を去らねばなりませんでした)、下の二人の娘と一四日からの伊江島の参加についての連絡でした。飛行便の関係で、伊江島中高生キャンプ参加できなくなりましたが、鮫島家族と入れ替わるように、八月一四日〜一六日の伊江島中高生キャンプに参加する二七名の中から重元先生、家内の君代五名が西表友和村に一九日まで滞在予定です。石原御夫妻と君代とは愛農学校での親しい交わり以来、幾度か先生方は私どもの所を訪ねて下さいましたが、君代が友和村を訪問するのは初めてです。
 
伊江島については、高橋三郎先生の貴重なご助言を心より感謝し続けております。十月二九日の秋の教会総会において、過去二年間の歩みについて報告することになっています。春、夏の伊江島中高生キャンプを継続しながら、一歩一歩主の導きを求めつつ進むことが、今許されている備えであると実感しています。ご助言頂きましたように、首里福音教会の牧師としてとどまりつつ、伊江島の宣教、主僕高校誕生のため労することの重要性を次第にはっきり教えられています。開拓の先頭にとの思いだけでは一面的であると。首里福音教会の牧師としてとどまり、生涯仕えていくこと、主のみ許しあればと。
 
「神様の御経綸」、身近なところで受けとめの一部を、とても長くなりましたがお伝えし、『十字架の言葉』を通しての御教導に感謝を現わさせて頂きます。
 沖縄で十年の夏を迎えている中、七月三十日の主日礼拝直後には、琉大病院に入院中の姉妹を主のみもとに送りました。首里福音教会で三度目の告別式になります。少し少し、沖縄の地に根ざし歩みを進めることができるよう願っております。
 高橋三郎先生の尊いお働きの上に、益々豊かな祝福がありますように。
 九五年八月七日 宮村武夫 
高橋三郎先生」