1990年代、沖縄から、高橋三郎先生への手紙 その3

1990年代、沖縄から、高橋三郎先生への手紙 その3

★高橋三郎先生と私の文通は、全くの個人的なもので、組織的結びつき一切ありませんでした。しかし同時に豊かな人脈の広がりを内包している事実を覚えます。
 例えば、ちいロバ聖書集会の鮫島夫妻や石川福音教会の重元ご夫妻は、いつも、高橋先生と私の文通の中に織り込まれていた事実を、今回改めて覚えます。この手書きの手紙をパソコン用に打ち込んでくれたのは、鮫島ご夫妻の長女・光子姉です。

「頌主
 毎月の『十字架の言』を通しての御教示、心より感謝しております。
 本日午後には、同封させて頂きました、『第一回友和村那覇連所相談会』のレジメに従い、午後二時より、私どもの所で、小さな集いを予定しております。
旅の途中の石原昌武先生、吉浜さん、宮城さゆり姉、若き同志の牧師・重元清先生(東京農大卒、実家は熊本の農家、恵泉の園芸生活科の助手として働かれた後、神学校へ。神学校卒業後直ちに、石川福音教会の牧師。奥様は恵泉の卒業生。農大の学生時代からの親しい友で、忍望が愛農高校へ進むのを、心より喜んでくれた数少ない方々の一人です)、と私の四名です。村のため少しでもお手伝いしたい、お役に立てばと願っております。昨年十一月二八日の便りで、伊江島宣教への重荷、特に伊江島を中高生の学びの場、さらに高校設立の内なる祈りについてお伝えしましたところ、高橋三郎先生より励ましのことばを頂き、心より感謝しておりました。
 
その後、私どもの教会の会員であるNT姉の年老いた御両親を訪問しながら、一つ一つと導かれて参りました。春三月の末には、一泊二日の中高生バイブル・キャンプ。そして八月中旬には、二泊三日のキャンプと、それぞれ私どもの姉妹教会、六つを中心に三十名の中高生が集い、祝福に満ちた集いを持つことを許されました。
 私なりに祈りを重ねてまいりました中、九月二六日の主日礼拝におきまして、内なる重荷を公表いたしました。(『首里福音』329号)その後、教会の兄弟姉妹や、私の高校二年の入信以来祈り続けてくださる方の励ましなどを与えられてきました。幾つかのしるし(私なりにそう理解しております)を与えられる中、同封させて頂きました「伊江島キリスト公会伊江島主僕高校」マスタープランへの手掛かりを書きました。現在の段階で文字に表現し、さらに祈りつつ、主にある方々のアドバイスを頂きながら、九四年一月一日までに、マスタープランを書くことが許されればと願っております。
 つきましては、高橋三郎先生にお読み頂きまして、御指導を頂ければ、誠に幸いです。現在、東京基督教大学東京基督神学校の非常勤講師として、上京する機会があります。後期は、十月一八・一九日、一一月八・九日、一一月二九・三十日、十二月六・七日、一月十日・十一日と授業があります。高橋三郎のお忙しい日常の日々を理解しておりますが、許されますならば、上京の際一度お寄りさせて頂き、直接この件につき御教導頂ければと心より願っております。
 
高橋三郎先生が、教会についてキリストのからだの身体性を指摘なさったことを、様々な折に思い起こしております。
 愛農、愛真との摂理的なかかわりを感謝しております。愛農を卒業した長男忍望も遠まわりをしながら伊江島への宣教のため、無くてならない助けとなってくれると確信し日々祈り続けております。青梅キリスト教会の鮫島兄に続き、首里福音教会のIM兄も、長女Aさんを愛真へ送ることを考えております。
 九三年十月十二日 相談会を前に 宮村武夫 
高橋三郎先生」