1990年代、沖縄から、高橋三郎先生への手紙 その1

1990年代、沖縄から、高橋三郎先生への手紙 その1

★日本クリスチャンカレッジの学生時代、西荻キリスト教書店で、高橋三郎先生の最初期の著作を、偶然手にし深い感銘を受けました。
 その後、もみの木幼児園の10周年を記念して出版した、『存在の喜び』を、それまでの『十字架の言』を通してのご指導に対する感謝のしるしとしてお送りしました。
 高橋先生は、とても喜んでくださり、それを契機に文通が始まりました。
そうした背景の中での、1990年代、沖縄から、高橋三郎先生への手紙です。
 2016年7月22日(金)石川福音教会設立50周年記念集会 エペソ2:14
   『沖縄と大和ーその溝に立ち−』
  日時:7月22日(金)9時半ー11時半
  場所:佐喜眞美術館
    (宜野湾市上原358 電話098−893−5737)
  パネラー:平良修牧師 佐喜眞道夫氏 宮村武夫牧師
を前に、沖縄での25年を回顧する助けとして、再読します。

「頌主
 いつも、『十字架の言』を通し、ご指導頂き、心より感謝しております。
この度は、お心のこもった『続あなたどこにいるか』を、ご多忙中にもかかわらず、高橋先生ご自身の手でお送り頂き感激しております。『十字架の言』、毎月個人として読む恵みばかりでなく、読書会において、主にある方々と共に読み味わう二重の祝福、幸いです。前回の読書会は、六月二八日(日)夜、いつものように、宮城航一御夫妻宅で開かれ、第二八巻五号を味読しました。
 実は、この日に、『鈴木弼美と基督教独立学園―偉大なる非常識と教育―』の一文を味わい、特別な意味を見い出していることをお集まりの方々にもお伝えしました。鈴木先生の生地葛野に、私が以前牧会させて頂いていた青梅キリスト教会の会員で、戸田和延・みどり(旧姓鈴木)御夫妻がおられます。一九八十年代のはじめ、月に一度の家庭集会を開始しました。戸田兄は都留文大出身の小学校教員、みどり姉はもみの木幼児園(青梅キリスト教会附属)で働いておられましたが、その後祖父以来御家族が育てて来た養護施設で保母として専念していました。一人娘の初穂ちゃん―当時幼稚園児でした―の成長と共に五十年後に教会誕生をと素朴な願いをもっての一歩でした。
一九八六年四月に、私どもが沖縄へ移るまで毎月一回家庭集会を継続、その後は、後任の林牧師によって続けてこられました。長い間、文字通りの家庭集会で戸田家族だけを中心とするものでした。しかし、この二年程の間に道が一つ一つ開かれ、この六月二八日に、第一回の主日礼拝が開かれるに至ったのです。
その同じ日に、沖縄の地で小さな集いで、心を熱くしながら、「この貴重な証言」と高橋先生がご紹介なさっている文を読む機会を与えられたのです。鈴木先生も戸田宅での家庭集会のことを喜んでくださっていたとみどり姉から伝え聞いております。
 
六月には、もう一つ嬉しいニュースがあります。それは、琉球大学医学部での聖研が誕生したことです。これは二つの意味で、主の恵みの中に第二歩を踏み出すことを許されたと感じていることです。工学部情報工学科の技官である長田兄の部屋で、小さな聖研を三年以上継続してきましたが、はじめから医学部で聖研を持てるようにと祈りを重ねてきました。医学部三年生の教会員である大塚兄(ICU高卒)、二年生の前山兄(関西のミッション・スクールの出身で客員)を中心にスタートしました。宮城航一先生など教授方の指導によっての聖研スタートをはじめは願っておりました。しかしこのような学生中心のスタートこそ本来の姿ではないかと教えられております。思いを越えて最初から同好会としての出発になり、宮城先生が顧問の責任を引き受けてくださいました。琉球大学の各学部ごとに聖研を一つとの願い、第二歩を進めることが許されたわけです。姉妹教会の若き牧師重元牧師は、東京農大出身、恵泉女子短大の園芸科で働いた後、神学校へ進まれた方です。彼を中心に、次は農学部に聖研をと祈り、個人的に呼びかけております。ハーバートや上智で垣間見た、総合大学(ユニバーシティー・二重の意味で)における神学部の位置と役割、信仰を同じくする地域の若い世代の牧師たちと制度ではなく生きた群として求めて行くことができれば幸いです。
 
医学部聖研の誕生は、医療従事者の集いとして小さな歩みを続けてきました、「からし種の会」との関係においても、第二歩を踏み出すことを許されたと理解し感謝しております。欠けだらけの群、欠陥ばかりを覚える器ですが、ただただ恵みの中での第二歩と御名を嵩めております。
 
佐藤全弘先生を、首里福音教会の第一回首里福音学生センター講演会の講師としてお迎えし、「今、大学で学ぶとは」との題の集会が許された幸い、「私たちは夢を見ている者のようであった」(詩編百二六編一節)と表現したい程です。集会後、石原夫人と家内が愛農以来の再開を喜び、吉浜姉を加えて三人で喜びに満たされて話し合っている姿に、今回の講演会の恵みが象徴されていると思わされた次第です。
 
ユニバーシティーにあって、それぞれの専門分野において聖書を正しく、深く豊かに読み従う若き学徒たちが、各自の全生活と全生涯にあって、聖書を通し、正しく、深く豊かに宇宙の意味を認識し、人として生かされている喜びに満たされその責任を果たし、三位一体なる御方を礼拝し続けるよう祈ります。
 
四月末に、沖縄に来て最初の教会員の召天、葬儀を経験いたしました。九七歳の宮城ナベ姉の生前の歩み、召天、葬儀に接して、何か沖縄に生かされている牧師として腰がすわったように感じております。現在、九三歳の方御二人が熱心に求道しておられます。宮城ナベ姉の葬儀を通し課題として示されていた事柄へ、現在の私たちなりに少しでも整えられるように願い、七月一九日に半日修養会を持ちました。
 もみの木幼児園の園長である鮫島兄の家族から、愛真高校へ進む者が起こされたことも感謝です。以上、ご報告まで。
 九二年七月二一日 宮村武夫 
高橋三郎先生