江戸川区立小岩小学校5,6年、担任花井くら先生・つばめ会 その2

江戸川区立小岩小学校5,6年、担任花井くら先生・つばめ会 その2

花井先生は、今思えば、優れた国語教育を実践して下さったと感謝しています。それは、小学校の2年間だけでなく、生涯にわたる文通を通して、断続的に継続されました。その一端を、著作集の中に記録できました(宮村武夫著作Ⅰ『愛の業としての説教』271頁以下、「担われて生きる事の大切さ」。宮村武夫著作7『存在の喜び宮村武夫著作の源泉「もみの木幼児園の十年」」』271頁以下、「ミーレド、ミーレドー『成長感謝礼拝』を終えてー」。
 在学中の壁新聞が謄写印刷され、卒業記念の記念文集と共に、私たちが30代の初めのある年、クラス会・つばめ会の際手渡されました。
 記念文集に、私は以下の文を記していました。今私の手元にある、一番古い文章です。
 「私はちかいます
      宮村武夫
 一羽のつばめが遠い遠い南の国へ飛んで行きました。おさなく、かよわい一羽のつばめが新しい天地を求めて南へ旅たち出来たのは、そのつばめの両親やめぐみ深い太陽の光にはぐくまれいつくしまれたからでしょう。
 色々な大切な教えをさづけて下さった先生のふところから今私は去って行かねばなりません。
 私たちにとってまことに先生は太陽にも比べることの出来る方でした。その先生とお別れすることは何んと悲しいことでしょう。しかし、つばめの子は新しい天地を求めて飛んで行きました。私たちはさらに進んだ勉強をし今に社会に役立つ立派な人間になる準備をするためにやさしい先生のもとを巣立って行くのです。
 私たちは知識教養立派な人格を一生けんめいみがこうと思います。それだけが先生の御恩に報いることの出来る道だと思うからです。
 私はここでしっかりちかいます。つばめもいつかもっと力強く成長してこの土地に帰ってくるでしょう。
 私たちもきっと立派な若者となってお目にかかるつもりです。きっとかけます」。