ブラジル宣教の佐藤ご夫妻からの嬉しい連絡

ブラジル宣教の佐藤ご夫妻からの嬉しい連絡

 長年ブラジル宣教に従事なさって来た佐藤ご夫妻から、以下のような嬉しい連絡がありました。佐藤ご夫妻は、1970年代、各学年数名のキリスト神学校での教え子でした。私たちの沖縄時代、宣教報告で沖縄を訪問くださいました。

「宮村武夫先生
主を崇めます。
先日の湯浅治郎の記事http://www.christiantoday.co.jp/articles/20443/20160411/ochinsai-kashiwagi-gien.htmに関心を持ちましたので、早速
ブラジルの湯浅家について調べてみました。
治郎の息子十郎が牧師としてブラジル宣教に派遣され、永住した
ので、その子孫たちが、十郎のように各地で主に仕えてきました。
ブラジル湯浅一族の歴史と活躍の足跡を紹介します。
主にありて、  佐藤浩之」。

ブラジル湯浅十郎家の足跡

湯浅 十郎(ゆあさ じゅうろう)
1895年(明治28年)湯浅治郎と湯浅初子夫妻の十番目の子供として生まれる。
母の初子は徳富蘇峰徳富蘆花の実姉である。十郎は同志社中学に学び、
1910年(明治43年)原田助から洗礼を受ける。
1913年に第三高等学校に入学する。また、東京神学社で学ぶ。
1915年(大正4年)日本ホーリネス教会の田辻敏子の指導を受けて、日本ホーリネス教会に転入会する。
1919年(大正8年)に辻静子と結婚する。
1929年(昭和4年)に中田重治監督と共に、ブラジル伝道に行き、先に派遣されていた物部赳夫牧師に会い、共に日本人移住地で開拓伝道し、各地にブラジル福音ホーリネス教会を設立した。
湯浅十郎はリンス、サントス、サンパウロ、ボスケの教会の牧師を歴任する。
1934年、日本ホーリネス教会から、ブラジル福音ホーリネス教団が独立する。彼は物部師、田村師に続いて第三代目の教団委員長になる。
彼は語学に優れ、現地では当時の米国人の東洋宣教会との協力に重要な役割を果たした。
1981年(昭和56年6月26日)86才で召天。

湯浅十郎の子孫によるブラジル宣教

 十郎と静子夫妻には、日本で2人ブラジルで6人の子供が生まれた。その中で
►次男の純は、戦後の東京聖書学院に留学し、帰国後は現地ホーリネス教団のサンパウロ州パラー州の諸教会で牧師を歴任。教団委員長を数期つとめた。ブラジル日系キリスト教連盟(約100教会)の委員長を数期つとめた。
今は引退牧師である。純の息子ダビデは牧師だったが召された。娘のヨキミとノエミは現役の牧師である。デボラは牧師夫人となった。

►次女の鈴は、婦人伝道者となりサンパウロ州パラナ州の諸教会で伝道した。今は引退牧師である。鈴の息子カルロスは現役の牧師である。

►三男の虔は、信徒伝道者となりゴヤス州、アマゾン州、サンパウロ州の諸教会で伝道した。今は引退牧師である。虔の息子セルジオは現役の牧師である。

►四男の敬は、ブラジルと外国の神学校に学んだ。現地のホーリネス教団のサンパウロ州パラナ州、南マットグロッソ州の諸教会で牧師を歴任。教団委員長を数期つとめた。またブラジル日系キリスト教連盟の委員長と、ブラジル福音同盟の理事を数期つとめた。今は引退牧師である。

►なお、湯浅十郎の息子娘たちの親戚筋にも数名の現役牧師と宣教師がいる。

(資料は、インターネットの検索で「湯浅十郎」から引用したものと、またブラジル福音ホーリネス教団の歴史諸資料からの抜書き。)