「Ⅰペテロ1:24,25→バビロンもローマも国家は枯れ散る。しかし主の言葉は・・・」その2の1

「Ⅰペテロ1:24,25→バビロンもローマも国家は枯れ散る。しかし主の言葉は・・・」その2の1

2016年 4月12日(月)の切れ味 488
「バビロンもローマも国家は枯れ散る。しかし主の言葉は・・・」を、私のブログとフェイスブックに掲載いたしました。それなりの応答がありました。そこで、以下、もう少し主旨を展開します。

 Ⅰペテロ1:24,25において、イザヤ40:7以下をペテロは、引用しています。
「人はみな草のようで、
  その栄えは、みな草の花のようだ。
  草はしおれ、
  花は散る。

 しかし、主のことばは、
  とこしえに変わることがない。」
        (Ⅰペテロ1:24,25 新改訳)

「人は皆、草のようで、
  その華やかさはすべて、草の花のようだ。
  草は枯れ、
  花は散る。

 しかし、主の言葉は、
  永遠に変わることがない。」
        (Ⅰペテロ1:24,25 新共同訳)

「人はみな、草のようである。
  その栄えはすべての草花のようである。
  草は枯れ、花は散る。

 しかし、主の言葉は、
  とこしえに変わることはない。」
        (Ⅰペテロ1:24,25 フランシスコ会訳)

 イザヤ40章は、イスラエルの民がバビロンから解放される未来を預言している箇所です。預言者は、この喜びをいったい何と呼ばわり伝えたらよいのか、神に尋ねます。その時神が預言者に与えてくださったのがこのことばでした。
 不滅と考えられていたエルサレムがバビロンにより全く破壊され、民の指導者たちも根こそぎ捕囚の民とされてしまう。しかしそのバビロンもやがて崩壊し、捕らわれの民は解き放たれる。イザヤのメッセージの中心はここにあります。
 絶対的な権力を誇るバビロンも必ず滅びる、だがバビロンは滅びても神のことばは永遠に立つ。「人はみな草のようで、/その栄えは、みな草の花のようだ。/草はしおれ、/花は散る。」とは、単に人間個々人のはかなさではなく、巨大国家バビロンでさえも草のように枯れ、花のようにしぼむ。巨大国家も、神の前には滅びゆく存在にすぎないのです。預言者イザヤは、バビロン崩壊が現実となる以前に、歴史の主である神からそのことを示され宣言したのです。
 預言者イザヤと全く同じ宣言を、ペテロは旧約聖書を引用して行っています。現に今、新しいバビロン・ローマが巨大な権力をもって世界を支配している(5:13!)。しかし今どんなに自らの誇っていても、ローマも枯れしぼんでいく存在だとペテロは実にさめた目で見抜き、静かにしかし確信にみちた口調で断言しています(参照黙示録14:8,16:19,17:5,18:10)。そうです。不変不朽の神のことばの前には強大な権力・国家もいつか必ず滅び行く事実を、旧約聖書を淡々と引用しながらきっぱりと断言しているのです。