2015年11月2日(月)③聖書をメガネに 我は聖霊、聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず(その2)

2015年11月2日(月)③聖書をメガネに 我は聖霊、聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず(その2)

 使徒信条の「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり(中略)を信ず」の部分に焦点を合わせます。その上で、聖霊ご自身の働きが内包する全領域性について、以下の3点に注目し、徹底的な聖霊(ご自身)信仰と徹底的な聖書信仰が指し示す聖霊(ご自身)論を少しでも深め、展開したいのです。なぜなら、私たちの営み全体が、聖霊ご自身の内なる導き、静かで深い恵みの基盤に立つ事実を確認したいのです。

1. まず、聖霊ご自身の御業が、キリスト者・教会の全領域に関わる事実を重視する必要を覚えます。聖霊ご自身は、キリスト者・教会の歩みの第一歩から最後までの全行程、全領域に関わり、キリストにある救いの御業全体に関わり、救いの御業を完成へと導いてくださいます。

2. 聖霊ご自身は教会の特定の個人だけではなく、教会の全ての人々に深く関わります。旧約時代と新約時代を一貫して、聖霊ご自身は、神の民を導きます(一貫性)。同時に、旧約時代においては、祭司、預言者など特別な役割を担う者に聖霊が注がれた事実が目立ちます。それに対し新約時代では、「わたしの霊をすべての人に注ぐ」(使徒2:17)との約束が成就し、老若男女の全ての人々が聖霊ご自身に導かれます。

3. 聖霊ご自身は、救済論の領域だけではなく、創造論の領域においても御業を展開なさいます。罪からの救いが聖霊ご自身による神の救済の恵みの御業であるのと同様、創造の御業も聖霊ご自身による恵みの御業なのです。

 以上の基盤の上に立って、苦悩と喜びが両立する日常生活に根差して、徹底した神の恵みの神学を確認したいのです。(続く)