2015年4月30日(木)③「聖書の切れ味」を続ける意図

2015年4月30日(木)③「聖書の切れ味」を続ける意図

 長年の労苦に裏付けされた、日本語聖書翻訳に取り組む方々の役割と共に、その労苦の実をいかに活用するか、私たち読み手の役割を考えます。
その一つの応答として、「聖書の切れ味」を続けています。単にどの翻訳が良いかの興味ではないつもりです。

 聖書翻訳者と活用者の関係・課題と並行したものとして、説教者と会衆の関係を見ます。
 同じく聖霊ご自身の導きによる、説教を語る説教者の役割と説教を聞く会衆の役割。両者いずれも役割が与えられおり、それを果たす責任があり喜びがあります。
 説教者として、会衆が果たしている説教を聞く備えに対する敬意の現れの一つとして、「聖書の切れ味」の営みを継続したいのです。

 日本語翻訳の比較による説教準備を、神学校の先任教師であり、一時同僚であった榊原康夫先生から学びました。先生の大冊Ⅰコリントの注解の序に当たる部分で、注意してみると手の内を明かしておられます。あの名著も、沖縄で蔵書を整理する事態に直面し、今、私の手元にありませんが。