「手の業」

「手の業」

沖縄での25年(1986年4月から2011年5月)は、沖縄後に根差したく願いつつの歩みでした。ささやかであっても地域に根差すことが出来た分に応じて、それなりなりに、地域を越えて、主にある連帯に生かされる恵みにあずかりかりました。
 例えば、町田俊之先生が始め、その働きが進展しているバイブル・アンド・アートミニストリーズ(B&A)の関係が、その実例です。
 バイブル・アンド・アートミニストリーズ(B&A)のお働きへのエールの思いを込めて以下の文を書き送りました。

バイブル・アンド・アートミニストリーズ(B&A)
ニュースレター NO.49 2003.3.20発行

「手の業」
宮村武夫(日本福音キリスト教会連合首里福音教会牧師)

沖縄の自然の中で、染めと織物の営みをMさんは、本土からの移住後、二十年以上に渡り続けておられます。無教会の立場のMさんが、首里福音教会の週一回の聖書の学び会に、参加されるようになって、十年以上の年月が経過します。小さな交わりでMさんの存在が、他の参加者にとりいかに幸いであるか、その一つの例をお伝えします。

それは、出エジプト記35、36章に見る幕屋の記事を読んでいたときの経験です。35章25、26節に見る「また、心に知恵のある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ」との記述を、Mさんの日常生活や作品に接しているため、とても身近なものとして受け取ることができました。

多彩な色の糸、その配色と紡ぐ業が知恵を用いてなされたこと。その営みは、背後にある幾重もの備えとともに、「感謝して、進み出て」(36章2節)なされた事実の重みが自然に伝わってきます。感動に満たされた「心から進んでささげられ」(35章21節)、また時間をかけた、細部と全体がよく調和した「巧みな細工」(36章8節)。これらは、手の業を通しての心の現われです。

幕屋の建設においては、「聖所の奉仕のすべて」(36章1節)、「聖所のすべての仕事」(36章4節)とあるように、それに係わる仕事は多様です。またそれに当たる人々についても、「感動して、進み出たその仕事をしたいと思う者すべて」(36章2節)とあります。単に特定の人々だけでなく、神の恵みに応答する様々な人々と、多様な人々の様々な営みであると伝えています。

神の恵みへの応答は、手の働きである生産技術や芸術を通しても豊かに表現されると教えられます。手の業を多様な楽器の一つ(詩篇150篇)として活用するよう招かれていないでしょうか。