沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む  その8

この記事は、自分で言うとおかしいのですが、依頼原稿として書いたものの中でも好きなものです。幾回も、べつの機会に紹介しました。

流れのほとり

○短さの恵み

那覇の空港に降り立ち、私が沖縄らしさを一番意識するのは、二月の日々です。本土との温度差が10度以上と、一番はっきりする時期なのです。沖縄と本土の距離を改めて肌で感じ、位置感覚に快い刺激を受けます。

そして二月の短さ。30日や31日と28日とのたかだか二、三日の違いなど何程かと思います。しかし現実の生活の中では、この二、三日の違いが計画や約束の遂行に、微妙な影響を及ぼします。

私は何回か手痛い失敗の経験をしましたので、二月の短さを肝に銘じました。短さを意識し、心備えしつつ計画を深め、普段の月と同じ、いや他の月より充実した歩みを心がけます。短さを悟り、生活する二月の恵みです。二月はその短さによって、一年の一月一日、そればかりでなく私の生涯の短さを「気をつけなさい」と静かに指し示しているのです。同時に短さの中に含む豊かさで、励ましてくれます。

「気をつけなさい」との警告、聖書の中にも聞きます。マルコの福音書13章で、主イエスエルサレム神殿崩壊を巡る弟子たちの質問に対して、繰り返し言われます。

様々な異変が生じ、その噂が満ちても、それで世の終わりではない。「気をつけなさい」(5節)。激しい迫害も終わりを意味しない。望みを失わず、「気をつけなさい」(9節)。そのときこそ、諸国民への宣教の機会なのだと。

にせキリストやにせ預言者の出現に惑わされないように、「気をつけなさい」(23節)。苦難と激変の中で堅く信仰に立ち、耐え忍べ。

「気をつけなさい」(33節)。それぞれに割り当てられている仕事に責任をもち、従事しなさい。

終末の迫りを知り、しかも主イエスの再臨までの豊かな歴史の展開・形成に参与せよよの招き。日々の短さを覚えつつ、このお招きに応え、制約の中での恵みに心熱くして、平凡な日々の営みを続けたいものです。