「弱さと責任」 Ⅰペテロ5章1−5節
Ⅰペテロ5章1−5節
「弱さと責任」
御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
[1]序
(1)2013年9月22日の主日礼拝から1箇月、この期間も様々な面で恵みから恵みへの歩みでした。特に、10月13日(日)、14日(月)第3回聖望キリスト教会・宇都宮キリスト集会合同修養会を覚えます。今日も、皆様と共に主を礼拝し、みことばを味読・身読する恵みの機会を感謝します。
(2)今朝味わう5章1節の冒頭に、「そこで」とペテロは、4章までで語ってきた事柄の当然の帰結として、勧めを与えています。
①4章7−11節では、「万物の終わりが近づきました」との事実に基づいて神の御旨を祈り求めることに集中し、他者のことを思いやるよう勧めがなされました。
また受信者各自が、それぞれに与えられいる神の賜物の良い管理者として活用するよう励ましてきました。
今群れの指導者にたちに、その模範を示すように、直面している現状の中で、特に長老たちの責任をペテロは強調しています。
[2]ペテロの立場
ペテロは、今朝の箇所で自分の立場を三つの表現を用いて明示し、受信人たちが所属する諸教会の指導者たちに勧めをなして、自分の実例をもって、キリスト者gz神から委ねられた使命・責任を果たして行くべきが書き進めます。
(1)「同じく長老の一人」
個人の役割、同時に相互の協力。4:10、個と全体の有機的結びつき。神の国の特徴。
(2)「キリストの苦難の証人」
キリストの苦難の事実が基盤。
ことばによる、公の明解な証言。
(3)「やがて現われる栄光にあずかる者」。
確かな約束にぴったりと目を注ぐ。
[3])長老たちの使命
ペテロは、自分自身も主なる神から責任を委ねられて生きる者の一人として、「神の羊の群れを、牧しなさい」(2節)と中心点に焦点を合わせ再確認します。
神の羊を牧する牧会とは、あらゆる外的から神の羊を守る重大な責務(参照ヨハネ10章11節、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」、対比10章12,13節)で、その戦いの中で、群れの進むべき方向を示し続けるのです。
ペテロは、否定形を三回重ねて、長老たちの内面的戦いの激しさを示唆しています(2、3節)。
(1)「強制されるのでなく」←→「神に従って、自分から進んで」
(2)「卑しい利得を求める心からではなく」←→「心を込めて」
(3)「割り当てられている人たちを支配するのではなく」←→「群れの模範と」
否定形が用いられている事柄は、その可能性か、すでにその現実に直面している場合。
その現実に直面しつつ、ペテロは自らの弱さの中で、主イエスの恵みに支えられて、自分自身の実例をもって、主の僕仲間(黙示録22章9節)呼びかけています。
★「牧会」牧会について、私の友人・主治医の中嶋兄が以下のように、
「宮村先生は首里福音教会牧師時代、私たち教会員に、『持ち場立場でのそれぞれの活動が牧会である』と言われました。みことばに堅く立ち、それぞれの現場を大切にし、現実現場に即してものを考えようとする姿勢です。
ご自身の持ち場・沖縄を人一倍愛しつつ、曖昧な妥協を嫌い、先入観にとらわれずに社会や歴史を判断する強さをお持ちです。そんな先生の著作集に心から期待しています。」
[4]集中と展開
(1)集中。
教会の原点、Ⅰペテロ1章1、2節、「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」
(2)展開。
約束の成就の日、成就を待つ日々。
「そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。」
この場合も、「キリストのありのままの姿を見る」(Ⅰヨハネ3:2)最後から今を見る。まさに希望と忍耐。