使徒の働き味読・身読の手引き・その57

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

コリント宣教」
使徒18章1ー17節

[1]序 
今朝はパウロのコリント宣教の記事を味わいます。
コリント教会については、パウロのコリント人への手紙第一、第二を通して。その様子をかなり詳しく知ることができます。
ルカは、コリント宣教を二つの点を中心に伝えています。
第一は2節から8節の前半で、福音に対するユダヤ人の拒絶。
第二は12節以下で、パウロ対するユダヤ人の訴えにかかわりを持とうとしないローマ当局の態度。その中間の8、9節に、主イエスパウロに対する激励のことばを記しています。

[2]激励を受け
(1)第一、第二段階。
 2節から4節では、コリント宣教の第一段階、5節以下では第二段階ついてルカは報じています。
第一段階。
コリントはアカヤ地方ばかりでなく、ギリシャ全体でも最も盛んな国際商業都市、アカヤ地方の首府として活気に満ちた町。このコリントで、アクラとプリスキラ夫妻の協力を受けながら、3、4節、「自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。パウロ安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。」に描かれているように、パウロは地道な宣教活動の一歩を踏み出しました。 

第二段階。
「シラスとテモテがマケトニヤから下って来」、テサロニケ教会などが福音に固く立っているとのニュースを伝え、パウロは励まされ(Ⅰテサロニケ3章6節以下)、またピリピ教会からは経済的支援も受けました(ピリピ4章15節、「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。」)。
パウロはシラスやテモテなど同労者と協力し、一つのテームのようになって働き、「みことばを教えることに専念」。その結果、6節と7、8節に記されているように二つの流れが生じました。

(2)激励を受け。
 福音宣教が活発に進められて行く中で、主イエスパウロへの呼び掛けがなされ、命令(9節)と約束(10節)が与えられました。
命令。
「恐れるな」とまず基本的な命令。パウロは,恐れざるを得ないような事態に直面していたのです(Ⅰコリント2章3節)。
約束。
命令に答えることを可能にする約束も与えられました。
第一に、「わたしがあなたがたとともにいるのだ」と、主なる神がわたしたちと共にと、インマヌエルの約束です(マタイ28章20節「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」)。
またいつ迫害が起こるか予測し得ない状態の中で、「だれもあなたがたを襲って、危害を加える者はない」と慰めに満ちた約束が与えられています。
さらに、「この町には、わたしの民がたくさにるから」と、主イエスは福音宣教の継続へとパウロを励まされます。

[3]パウロとソステネに対して 
12節以下に一つの事件、パウロ(12ー16節)とソステネ(17節)についてそれぞれに。
(1)パウロに対する訴えの口実とガリオの答え。
 訴えの口実、13節、「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えた」。
ヨダヤ教はローマの公認宗教。パウロの宣教は、ローマの公認宗教であるユダヤ教とは異なるから、その宣教活動は認めるべきでないと訴え。
 ガリオの答え、14節と15節、「自パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。『ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない』」。自分が裁判すべき事柄がどのような範囲か、裁判の対象として取り上げるべきでないことは何かを承知。ガリオの判断(紀元52年前後)の影響、64年ローマの大火以後の皇帝ネロの迫害までの期間。

(2)ソステネの場合。
 14節のことばに反して、ソステネに対する不当の仕打ちを黙認(17節後半)。ガリオの裁判を美化し過ぎないように、ガリオの限界。

[4]結び 
パウロは神の命令と約束にしっかりと聞き、一年半コリントに腰を据えて、神のことばを伝え続けます。ローマの権力と微妙な関係の中でなされていることも注意。