使徒の働き味読・身読の手引き・その56

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告


「神は天地の主」
使徒17章16ー34節

[1] 序今朝は,使徒の働き17章16節から34節,普通「アレオパゴスの宣教」と呼ばれる箇所を味わいます。
 16節では、「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは」と、アテネの町におけるパウロにスッポトを当てています。
ギリシャ世界の精神的中心、とくにギリシャの思想の本拠として見られたアテネに、異邦人への福音宣教者パウロがその姿を現したのです。パウロは、アテネで「町が偶像でいっぱいなのを見」たのです。当時アテネには、約三千にも及ぶ公の偶像があり、その他にも無数の私的な偶像が町に満ちていたと言われます。アテネの町は,一方では最高の文明、芸術、哲学を生み出しながら、同時に偶像礼拝が盛んであり、その事実をアテネの人々は誇っていたのです。

[2]偶像礼拝に対して 
 アテネの町が偶像に満ちているのを目撃したとき、パウロは「心に憤りを感じた」のです。旧約時代の預言者たちと同様、唯一の・生ける・真の神の栄光が空しい偶像によって汚されている姿をパウロは黙視できないのです。パウロは福音宣教に励み(17節)、「イエスと復活とを宣べ伝えた」(18節、参照30−32節)のです。
 パウロは、アテネの人々に福音を宣べ伝えるにあたり、「知られない神に」と刻まれた祭壇を接点として用い、「あなたがたが知らずに拝んでいるものを,教えましょう」(23節)と、アテネの人々の無知を明らかにし力強い宣言をなします。

[3]天地の主なる神 
 パウロは、アテネの人々の無知を指摘した後、天地の主なる神を指し示します。
(1)神は世界の主。
 パウロが宣言する第一の点は、「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主」である事実です。「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1章1節)との宣言と全く同じ内容で、聖書全体を貫く最も基本的なメッセージです。
真の神がいかなるお方か、また神と世界・万物の関係を明らかにして、偶像礼拝者たちが誇っているアテネの神殿も祭儀も必要ないと断言して、偶像礼拝を鋭く批判し、その基盤を揺すぶります(27節)。

(2)人間を人間として。
 「神は、すべての人に,いのちと息と万物とをお与えになった方」と、創世記1章と2章で明らかにされている事柄を要約しています。
聖書の基本的立場に立ち、人間の全歴史を描いています(26節)。神は人間を人間として創造なさったのであり、人間は神を礼拝し、父なる神と人格的な交わりを持ちつつ生きる者として創造されていると明らかにしています。

(3)神の中に生きる者として。
 人間は神により創造されたばかりでなく、「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」とパウロは明言します。このような偉大な神を、「人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えていけない」と、パウロアテネの人々に迫ります。 

[4]結び 
 32節から34節には、アレオパゴスの宣教の結果が伝えられています。 
「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い」(32節)とあります。アテネの人々は、アレオパゴスの宣教、その中核をなす主イエスの十字架の死と復活をあざ笑ったのです。ピリピ、テサロニケ、ベレヤの場合とは違い、パウロの第2回宣教旅行において、アテネの人々のあざ笑いの中で地域教会は形成されなかったと推定されます。
しかし同時に、パウロに「つき従って信仰にはいった人たちもいた」と励ましに満ちた一面も伝えられています。