使徒の働き味読・身読の手引き・その55

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

「ベレヤの人々に学ぶ」
使徒17章10ー15節

[1] 序
今朝は比較的短い使徒の働き17章10節から15節・ベレヤの人々についての記事を味わいます。
 10節、「に兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。」に見るように、テサロニケ教会の人々は、パウロとシラスの身の安全を考え、彼らをベレヤに送り出しました。
ベレヤは、テサロニケから南西約80キロ、マケドニヤ西部山岳地帯の東側に位置する町です。ベレヤに着いたとき、パウロの一行は、テサロニケの迫害に意気消沈したり、身を潜めて自分たちの安全のみを求めなかったのです。ユダヤ人の会堂に入り、大胆に福音宣教に従事しました。
 ペレヤでの宣教活動を描く記事(11節と12節)は、2節以下のテサロニケの場合と興味深い対比をなしています。
2節と3節では、宣教活動を進めるパウロの態度と方法−聖書に基づいて論じ、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と宣言する−に焦点を合わせ描いています。ところが11節と12節では、福音を聞く人々の側を直接対象とし、ルカは彼らの姿を描いています。14節と15節にも注意し、ベレヤ教会から学びたいのです。

[2]福音に接して
ベレヤのユダヤ人会堂に集う人々が福音に接したときの応答。
(1)非常に熱心にみことばを聞き。
 彼らは、「非常に熱心にみことばを聞」いたのです。「聞く」と訳されていることばは、8章14節では、「さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした」と、サマリヤ人が福音に応答した様子を描くため用いられています。1参照1章1節、「さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。」も。
ベレヤの人々が熱心にみことばを聞き、聞いたみことばを心の中に受け入れていました。ピリピでのルデヤのように(16章14節「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。」)。主なる神が心を開いてくださり、神のことばを受け入れてることができたのです。 

(2)毎日聖書を調べた。
 またベレヤの人々は、パウロが聖書に基づき論じている内容を、自分たちで聖書を調べ確認したのです。ここで「調べて」と訳されていることばは法廷用語で、使徒4章9節でも、「私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり」と用いられています。公平に徹底的に、証拠に基づき綿密に調べて行くことを意味します。ベレヤの人々は、熱心にみことばに聞き入り、またこつこつと聖書を調べていたのです。熱心さと共に、しかも確実な根拠に堅く立ち落ち着いた態度を保ち続けたのです。 
[3]困難の中で ベレヤでは、12節に見るように、多くの人々が信仰に導かれました。
しかしここでもすべてが順調に進むのではなく、テサロニケのユダヤ人たちが時間と費用を費やし、わざわざベレヤまで来て、テサロニケにおきると同様な口実で、「群衆を扇動して騒げを起こした」(13節)のです。 
このような困難な状況の中で、ベレヤの人々は的確な判断をし、行動を取ります。「兄弟たちは、ただちにパウロを送り出し」、「シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった」のです。一人一人に応じた判断と行動です、さらに「パウロを案内した人たち」(15節)とあります。ベレヤからアテネまでの距離、幾人が人々がパウロを案内し、共に歩んだのです。最後まで責任を果たし抜くベレヤ教会の姿を見ます。

[4]結び
「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」(16章9節)と懇願するマケドニヤ人の幻に答え、パウロの一行はマケドニヤに進みました。
しかし今や、パウロはマケドニヤ地方を去って、アテネーアカヤ地方に移ります。マケドニヤ宣教は、困難の連続であり、激しい迫害が次々と迫って来ました。その中で、パウロがマケドニヤを去るとき、その地方には、ピリピの教会、テサロニケの教会、そしてベレヤの教会とそれぞれ掛け替えのない教会が誕生し成長し続けています。