使徒の働き味読・身読の手引き・その36

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

神のことばの宣教」
使徒13章4ー12節

[1]序
 今朝は、アンテオケ教会から派遣されたサウロとバルナバの宣教活動の実際を直接見ます。今までにアンテオケ教会について幾つものことを教えられて来ました。アンテオケ教会はエルサレム教会に対する迫害の中で誕生。そこではギリシャ人にも主イエスが宣べ伝えられ、ユダヤ人とギリシャ人が共に、真の神を「アバ、父よ」と礼拝していたこ。エルサレルからバルナバそしてタルソからサウロが、教会誕生の時点から地味な戦いを続けて来た人々に加わり、アンテオケ教会は神のことばにしっかりと根差し成長していた歩みなど。このアンテオケ教会がバルナバとサウロを宣教師として派遣する様を先週は見ました。
 
今朝の13章4節では、「ふたりは聖霊に遣わされて」とルカは記しています。バルナバとサウロの派遣は、アンテオケ教会によるものでした。しかしそれは教会が勝手にふたりを選び送り出したのではなく、神のみここに従うものです。
聖霊ご自身が教会を通してふたりを選び、派遣した事実をルカは明らかにしています。バルナバとサウロはマルコを伴い、バルナバの郷里キプロス島に渡り、第一の町サラミスで「ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた」(5節)のです。異邦人への使徒として特別な使命を与えられ、それを果たすサウロ(パウロ)は、同時にユダヤ人への福音宣教を軽んじたり中止したりはしないのです。「ユダヤ人をはじめ」(ロマ1章16節)なのです。一行は、サラミスから「島全体を巡回して、パポスまで行」(6節)きます。
パポスは、ローマの行政庁所在地で、政治、経済、文化などあらゆる面でキプロス島の中心でした。

[2]セルギオ・パウロ
 パポスでの神のことばの宣教を、ルカは地方総督セルギオ・パウロを中心に描きます。ローマの元老院から派遣され、キプロスを統治するセルギオ・パウロ。彼に神のことばが宣べ伝えられます。まさに福音が異邦人に公に宣べ伝えられている現実を示す出来事です。
(1)バルイエスの悪影響。
総督セルギオ・パウロに対する宣教は、初めから大きな障害に直面します。
6節では、神のことばの宣教に敵対した人物を、「にせ預言者」、「魔術師」と二重の表現で示し、その名もバルイエスアラム語ばかりでなく、「エルマ」(8節)とギリシャ語で呼んでいます。キプロス島は、エジプト、フェニキヤさらにギリシャの影響が交ざり合い、混合宗教の起こりやすい地(参照8章9ー24節のシモン)。総督セルギオ・パウロは,「賢明な人」(7節)と紹介されています。彼は行政官として豊かな性能を持ち、またローマ古来の偶像礼拝に満足ぜず、求める心を持つ人であったようです。このように「賢明な人」なのに魔術や迷信に惑わされています。私たちの周囲でも同じ姿を見ないでしょうか。

(2)神のことばを求めて。
セルギオ・パウロはバルイエスの悪影響のもとにありました。けれども完全に支配されきってはいないのです。「バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた」(7節)のです。この求めが心に起こされるのは、人の心の奥深く働きなさる神のあわれみの御業によるものです。

[3]サウロ、別名パウロ
(1)聖霊に満たされ。
神のことばを聞きたいとの思いが起こされると共に、神のことばに敵対する力も、「総督を信仰の道から遠ざけようとした」(8節)と、その姿を現します。神のことばの宣教は、敵対する力に直面しながらなされました。ですから聖霊に満たされ(4章8節ペテロ、7章55節ステパノ)、導かれ神の上よりの助けによってのみ、実を結びます。

(2)彼をにらみつけ。
バルイエスをにらみつけ、パウロは10節と11節のことばを宣言します。パウロが何をにらみ、何に向かい激しく戦い、どのような備えをなしていたか、エペソ人への手紙6章10節以下を参照。

[4]結び神のことばの宣教。キプロス島においてそうであったように,この沖縄においても戦いの中で、聖霊ご自身の導きを受けつつ。