使徒の働き味読・身読の手引き・その35

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

「主のことばの広がり」
使徒12章24節ー13章3節

[1]序 
今朝112月の第一主日礼拝では、12章から13章へ移行する箇所を味わいます。
12章を通し、ヘロデ・アグリッパ1世による迫害と迫害下のエルサレム教会、またヘロデ・アグリッパ自身の結末について見てきました。
これらの記事の直後に、迫害にもかかわらず、またヘロデの惨めな最後と対比して、「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った」とルカは記しています(2章47節、6章7節、9章31節など)。
 迫害の下でもエルサレム教会を中心に神のみことばは広がって行ったように、今新しい段落を迎え、アンテオケ教会を中心に主のみことばは、ますます盛んになり、広まる様をルカは伝えて行きます。

[2]アンテオケ教会 
「アンテオケには、そこにある教会」(13章1節)。ルカはアンテオケと一つの地域に焦点を合わせ、さらに「そこにある教会」と的を絞って行きます。一つの地域に教会が存在する、その事実の重さと意味を示しています。
(1)預言者や教師.
アンテオケについて、ルカはそこに神のみことばを説き明かす預言者や教師たちの一団がいた事実を第一に伝えます。教会の最も大切な特徴は、そこで聖書が正しく、深く、豊かに説き明かされることです。
バルナバとサウロだけではないのです。
①「ニゲルと呼ばれるシメオン」、「黒い人」を意味するニゲルが呼び名であることから、このシメオンはアフリカ系の人物ではなかったかと想像する人々もいます。

②また「クレネ人ルキオ」は、「その中にキプロ人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた」とあるアンテオケ教会の成立に深くかかわった人々の一人ではないかと考えられます。

③「国王ヘロデの乳兄弟マナエン」も、興味深い人物です。「乳兄弟」は、王子と同じ年令の男子で、宮廷で王子と一緒に育てられ、多くの場合宮廷で高位に着いたと言われます。どのようにしてかは不明ですが、この世の栄誉を一切捨て、マナエンはキリストのしもべとなったのです。このような様々な人々が背後にいて、バルナバとサウロはアンテオケ教会から派遣されました。

(2)主を礼拝.
アンテオケ教会は、上記の預言者や教師の指導のもと、「主を礼拝し」ていました。この礼拝はアンテオケ教会にとり大切な土台です。「断食をしている」と、彼らが礼拝を中心に真剣に歩む姿をルカは描いています。

(3)聖霊と教会.
アンテオケ教会に多様な人々が加えられ、主のみことばを説き明かしていました。人々は霊とまことをもって、主なる神を礼拝していました。このような歩みを続けるアンテオケ教会を、「聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われました」(2節)とあるように、聖霊ご自身が導き、教会は神のご計画を悟り、その実現に励みます。

[3]バルナバとサウロを派遣
(1)聖別と任命。
アンテオケ教会の人々は、「断食と祈りをし」慎重に備え、神のご計画を確認し、バルナバとサウロを選び任命します。

(2)任務の内容。
任務の内容は、4節以下15章35節までの箇所に見る働きを指します。彼らの働きは、地理的な広がりばかりでなく、「見なさい。私たちは、これから異邦人のほうへ向かいます」(13章46節)と、異邦人への宣教という驚くべき恵み(ロマ1章16節、エペソ2章14節参照)を伝える任務を果たすことです。

(3)派遣。
アンテオケ教会がバルナバとサウロを派遣した時より十年以上前、あのダマスコ途上での経験の直後、主イエスはサウロについて、「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です」(9章15節)と宣言なさっています。   
さらにサウロは、神のご計画を思いめぐらして、「生まれたとき私を選びわけ、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために御手を私のうちに啓示することをよしとされた」(ガラテヤ1章15、16節)と述べています。神の綿密な時間をかけた異邦人への宣教の計画が、アンテオケ教会を通しても押し進められて行きます。

[4]結び
アンテオケ教会を導き用いたもう主なる神が、今、各地域教会を導き用いて下さいますように。