使徒の働き味読・身読の手引き・その7

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

「あなたがたは,あの契約の子孫」
使徒の働き3章20節ー4章4節

[1]序 
先週の主日礼拝では、使徒3章12節から26節までに記されているペテロの宣教の前半を味わいました。生れつき足の不自由な中で四十年余の歩みを重ねて来た方。この方が「美しの門」で経験した出来事に直面し、その意味を誤解してしまった人々。彼らに、「あなたがたは・・・」、「しかし、神は」とペテロは対比を三回も繰り返して出来事の意味を説き明かし、悔い改め神に立ち返りを呼び掛けている様子(19節)が描かれていました。これこそ、ペテロの宣教の前半の頂点です。
 今朝は、20節以下ペテロの宣教の後半を注意をしたいのです。

[2]将来の希望を目指して20、21節
 20と21節では、人々が悔い改め、神に立ち返る目的を、ペテロは主イエスの再臨を中心とする将来の希望と堅く結び付けています。その中で20節の「回復の時」、21節の「万物の改まる時」は特に注意を引く表現です。
神に敵対する、あらゆる力が完全に滅ぼされ、万物が神のご計画通り完全な姿になる成就の時です。この将来の希望について、使徒パウロも力強く宣言しています(Ⅰコリント15:24、25)。主イエスの再臨において頂点に達する神の救いのご計画は、この時エルサレムで、人々が悔い改めと神への立ち返ることを通して進展しているのです。「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」と、主なる神のご統治の成就を祈る主の祈りと宣教の業の堅い結び付きを見ます。

[3]過去の基盤に深く根差し、22ー25節
 22節から25節の箇所では、旧約聖書の基盤に深く根差して、主イエスの救いをペテロは宣べ伝えています。
(1)預言者たちの子孫。
 25節では、「あなたがたは預言者の子孫です」と,、 2ー24節の要約をなし、ペテロは人々に呼び掛けています。
モーセ申命記18章14ー18節。第二のモーセとも呼ぶべき真の預言者である、「ひとりの預言者」として、モーセは主イエスを指し示していることをペテロは明らかにします。
 
②サムエル、すべての預言者の筆頭にサムエルをあげています。
 「今の時」とは、主イエスの地上で救いの御業を開始されてから再臨のときまでの期間のことです。この終わりの期間について、預言者たちは預言してきたのです。これらの預言は、人々がエルサレムにおいて悔い改め、神に立ち返ることを通し成就しているのです。

(2)あの契約の子孫
 さらに神がアブラハムと結んだ契約が、主イエスにあって、エルサレムの人々が悔い改めて神に立ち返るとき成就されているとペテロはを宣言します。

[4]結び
 4章3節、「すでに夕方だったからである」と3章1節、「午後3時の祈りの時間に宮に上って行った」から判断して、ペテロはかなりの時間宣教をなしていたと推察されます。
その内容は、「民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えている」(4章2節)とあるように、豊かなものであったことを教えられます(Ⅰコリント15章参照)。このようにペテロが3章1節から8節に見る出来事の意味を明らかにしたとき、直接的な妨害がなされます(4章1ー3節)。
しかし激しい妨害の中にあっても、「みことばを聞いた人々が大ぜい信じ」(4章4節)と福音を信じた人々も起こされました。
「あの契約の子孫」は、福音の宣教を通して広がります。その広がりは、いつでも、どこでも「あの契約の子孫」の一員とされている人々による福音宣教を通して広がり続けます。