使徒の働き味読・身読の手引き・その6

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

「このイエスの御名で」
使徒の働き3章1節−19節

[1]序
 今朝は、使徒の働き3章1節以下を読み進めて行きます。
2章最後の部分では、エルサレム教会の様子を特徴をあげ一般的に描いていました。それに対して、3章1ー8節では一つの出来事を記し、12節から26節では、その出来事と切り離せない、ペテロの教えを伝えています。

[2]神を賛美する者(1ー8節)
 1節には、ペテロとヨハネの姿。
2節には、この場面の中心人物、そして3節以下では、両者の出会いについてルカは描いています。
(1)この日までの生涯の歩み、2節。
①生れつき足がきかない。
 
②毎日施しを求め。当時の社会における施しの大切さ。祈り、断食と共に(マタイ6章2節以下)。
    
③四十歳余り、「この奇跡によっていやされた男は四十歳余りであった」(4章22節)。

(2)この日。
出会い、「ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った」(4節)、「ふたりに目を注いだ」(5節)。
ナザレのイエス・キリストの名によって、6節、16節。
右手をもって、7節。支えられ、立たされ、そして強められる。

(3)神を賛美する者に、8、9節。

[3]このイエスの御名が
(1)人々の誤解に対して、12節「ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。」、参照14章4ー18節。

(2)「あなたがたは」、「しかし神は」。
①13節、「アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。」に見る対比。
あなたがたは「この方を拒みました」←→しかし神は、主イエスに栄光をお与えになった。    
    
②14、15節に見る対比。
あなたがたは主イエスを十字架に←→しかし「神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました」(15節)。

③17、18節に見る対比。
「無知のためにあのような行いをしたのです」(17節)←→「しかし、神は」。

[4]結び

 注目すべき16節、「そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」。
第一にペテロやヨハネの力とか信仰深さではなく、「このイエス御名」、つまり主イエスご自身が中心であることを明らかにしています。

後半では、「イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです」と、人々の信仰を通して、主イエスが御業を進められる事実をペテロは示しています。