ルカの福音書味読・身読の手引き・その97

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

「心はうちに燃えていたではないか」
ルカ24章13節ー35節

[1]序 
2月最後の主日礼拝です。ルカの福音書24章13節からのエマオの途上の記事を味わいます。

[2]ふたりの弟子
(1)ふたりの弟子、11節に見る、「女たちを信用しなかった」人々の中のふたり。エマオの我が家(29節参照)へ戻る途中と私は推察。

(2)彼らが話し合っていたこと、15節と19節以下参照。

(3)彼らの主イエスの対する期待と気落ち。
彼らの期待、「この方こそイスラエルを贖ってくださるはず」(21節)。
彼らの状態、「ふたりの目はさえぎられていて」(16節)。

[3]復活の主イエス
(1)主イエスが方からふたりに近付かれる、
15節、「話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。」

(2)主イエスの方からふたりに語りかけられる、
17節、「イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。」

(3)ふたりの実態についての主イエスの指摘、
23節、「するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち」。参照16節、「しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」。

(4)主イエ、聖書全体を通して、ご自分を明らかにされる。
①弟子の期待(21節)との違い、「キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか」(26節)。
 
②聖書を説き明かされる、27節、「それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」
エペソ1章17節以下、「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」

[4]結び
(1)主イエスを中心とした食卓の交わり、主イエスが家長の立場に立ち、食卓に招く。24章2、30節、15章22節以下参照。
(2)「彼らの目が開かれ」(31節)。心に起こされる燃える思い(32 節)、ヨハネ20章9節、「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。」

(3)喜びを共に、24章35節、「彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。