ルカの福音書味読・身読の手引き・その90

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

「しかし今から後」
ルカ22章66ー71節
[1]序
 
今朝からアドベント、主イエスのご降誕を特別に記念する備えに入りました。これから12月19日のクリスマス礼拝まで、一週間一週間の備えを進めて行きます。
 先週は特別な集会が続きました。11月23日から28日までの姉妹教会の協力伝道の初日、私たちは一日祈祷日を持つことが許されました。
今年は青森五所川原の田村先生を講師にお迎えしての協力伝道、首里福音教会では26日(金)午後7時半より幸いな集いを持ちました。今晩の石川福音教会の集会が最後です。   
今年も各姉妹教会が祝福の中に協力伝道を迎えることでき感謝でした。今回の機会が、今後の東北地区の姉妹教会と九州・沖縄地区の私たちとの交わりが深められて行くため用いられるように期待します。

 さて今朝11月最後の主日礼拝では、ルカの福音書22章の最後の部分66−71節を22章の締めくくりとして味わいます。

[2]主イエス、議会(サンヘドリン)の前で(66ー68節)
(1)場面
 主イエスに対するユダヤ人議会(サンヘドリン)による審問の場面は、それぞれの福音書が特徴をもって描いています。ルカは、「民の長老会」との表現で議会を指しています。その構成は、祭司長たち、長老と律法学者(マルコ15章1節)によりなされていました。議長(マタイ26章3、57節、ヨハネ18章24節以下)の役割や証言(マルコ14章)についてはルカは直接記していません。

(2)議会の尋問 
 「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい」(67節)。
キリストの称号は、主イエスの受難の記事において大きな役割を演じています。キリスト(メシア)の称号は、当時の人々が理解するように政治的メシアと受け止められるに違いありません。それは、ユダヤ人の王と自称する者として政治問題になり得ました。事実、議会は主イエスについての事柄をローマ総督ピラトの権限に属する政治問題へと意識的にでっちあげて訴えたのでした。

(3)主イエスの答え
 主イエスは、当時の人々の考える政治的メシアと混同されないように十分注意して、議会の尋問には、「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう」と直接に答えないで、69節の宣言をなさいます。

[3]「人の子は、神の大能の右の座に」(69ー71節)
(1)「わたしはそれです」
  69節、「しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます」と詩篇110篇1節の約束が、主イエス(「人の子」)において成就される事実を宣言なさいます。議会は、この表現の中に、主イエスの「神の子」との自意識と主張を認め、「ではあなたは神の子ですか」との問いを発します。
主イエスは、「あなたがの言うとおり、わたしはそれです」と力強く確認なさいます。

(2)ユダヤ人たちが主イエスを十字架につけた理由、それは主イエスがご自身について意識し、また宣言なさった事実にあります。
ヨハネ10章24節「それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。『『あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。』」    
10章33節、「ユダヤ人たちはイエスに答えた。『良いわざのためにあなたを石打にするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
10章36節、「 『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している』と言うのですか。」

(3)ヘブル人への手紙に見る詩篇110篇の引用
 ①詩ヘブル1章13節に見る、篇110篇1節からの引用、
「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。
  『わたしがあなたの敵を
  あなたの足台とするまでは、
  わたしの右の座に着いていなさい。』」

②ヘブル5章6、10節に見る、詩篇110篇4節からの引用,
「別の個所で、こうも言われます。
  『あなたは、とこしえに、
  メルキゼデクの位に等しい祭司である。』」(5章6節)。
「神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」(5章10節)。
ヘブル7章17、21節に見る詩篇110篇4節からの引用、
「この方については、こうあかしされています。
  『あなたは、とこしえに、
  メルキゼデクの位に等しい祭司である。』」(7章17節)。
「・・・主の場合には、主に対して次のように言われた方の誓いがあります。
  『主は誓ってこう言われ、
  みこころを変えられることはない。
  『あなたはとこしえに祭司である。』」(ヘブル7章21節)
  ヘブル人への手紙において、「人の子」主イエスが現に神の大能の右の座に着く天の大祭司であることを特に明らかにしています。

(4)テトス2章11ー14節の味わい

[4]結び
(1)22章63ー65節と66ー71節の結びつき.
 全き人になられた、全き神である主イエス・キリスト。この事実を全聖書が明らかにしています。たとえば、
ピリピ2章6ー11節
Ⅰテモテ3章16節、「まことにわれらの信仰の奥義は偉大です。『(キリストは)肉にあって現われ、霊にあって義とされ、天使たちに見られ、諸民にのべ伝えられ、世を通じて信ぜられ、栄光のうちに高められたのです」(前田訳)。

(2)主イエスが人となり、苦難のしもべとして十字架にかかり贖いをなしてくださった事実と栄光のうちに神の大能の右の座に着かれていることの両方をしっかりと受け止めていくことが大切なことであるように、真理の二つの側面を同時に見る態度、一部ではなく全体を、一面でなく両面を見る姿勢が大切であることを教えられます。