ルカの福音書味読・身読の手引き・その81

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

『わたしを覚えて』
ルカの福音書22章14ー23節
[1]序
 
今朝は、敬老礼拝として年輩の方々を特別にお招きすることができ幸いでした。今年の敬老礼拝にあたり特別に心に響き続けたのは、詩篇92篇13ー15節のみことばです。
 「彼らは、【主】の家に植えられ、
 私たちの神の大庭で栄えます。
 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、
 みずみずしく、おい茂っていましょう。
 こうして彼らは、【主】の正しいことを告げましょう。
 主は、わが岩。主には不正がありません。」
 」
 今朝の敬老礼拝のためばかりでなく、首里福音教会の主日礼拝に、いつも九十歳を越えた方々が出席なさるように祈り続けたいのです。
 さてこの朝の聖書箇所は、大きく三つの部分に分けることができます。
①14ー18節、過越の食事

②19ー20節、聖餐(式)の制定

③裏切りの予告
 この中で、③については、来週以降24節以下を味わう際に注意を払うことにして、今朝は①と②の箇所を中心に見て行きます。

[2]「この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか」(14ー16節)
(1)「さて時間になって」(14節)
 ふさわしい時に「過越の食事」のテーブルに着く、主イエスと弟子の姿をルカは描いています。
さらに、「苦しみを受ける前に」(15節)、「過越が神の国において成就するまでは」(16節)と時、時間の感覚・センスを発揮しながら描写。
この時・時間を意識し大切にする事実は、年を重ねる恵みの自覚や喜びと堅く結びます。時・時間・歴史を重んずるセンスを養うためには、食卓につく時間をどのように意識するかなど日常生活における姿勢が鍵です。

(2)過越の食事
①過越の食事の起源(出エジプト記20章2節)

②過越の食事の内容

③主イエスが弟子たちと過越の食事をなさることを熱望する理由

[3]「わたしを覚えて」(17ー23節)
(1)「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです」(19節)。
①主イエスご自身とパンの結びを通し、主イエスの十字架の意味を明示。

②「あなたがたのために」、いつも聖餐式で賛美する聖歌206番参照。
 2節 こはわがため 十字のうえに
          くぎもてさかれし みからだなり
 3節 こわわがため のろいうけて
          ながさせたまいし きみが血なり
 4節 こわわがため あたえたもう
          いのちのかてなり のみものなり

(2)「わたしを覚えてこれを行いなさい」(19節)
①「わたし」、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12章2節)。

②「覚えて」、Ⅰコリント11章24と25節、ヘブル10章3節参照.

(3)「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です」(20節)。「新しい契約」、エレミヤ31章31ー34節参照。新しい契約の中に生かされている者の喜び、特権と責任の大切な一つは、エレミヤ15章16節に見る、主の名をつけられ主なる神の者とされている恵みの立場。名を重んじる精神、しかし家名だけではなく、主の名を。

[4]結び
(1)年を重ねる恵みの一つは、90年を昨日のように。そして主イエスを覚え記憶する教会は、2000年前の主イエスにあるできごとを、今、ここでの恵みの事実として。

(2)出エジプト記20章2節とモーセ十戒の堅い結びつき。
その中で、12節、「あなたの父と母を敬え」の位置。
父母を敬い過去との結びつきを持つことと神の救いのできごとを、今、ここで「わがため」と受け止めることは深い関係があります。

(3)聖霊ご自身の助けにより(ヨハネ14章26節参照),記憶する教会としての歩みは可能です。
記憶する教会は記録する教会であり、テープや文書を通し、未来・将来に向け開かれている群れであるべきです。敬老の群れ、主イエスを覚える一人一人として前進は、聖霊ご自身の恵みの御業に頼りつつの道です。過去を大切にする時、未来に開かれ、今、ここで忠実に主イエスご自身に従う道を、今週の日々進みましょう。