「どのような状況でも、キリストのしもべとして」

「どのような状況でも、キリストのしもべとして」                     2013年年4月28日(日)午後
聖望キリスト教会 聖書味読・身読会

[1]序
(1)Ⅰペテロ2章18節−3章13節、ロ−マ社会の矛盾を一身に身に受ける奴隷の実例を通して、ロ−マ社会のどの階級の者であっても、キリスト者としていかに生きるべきか実際的指針。

(2)パウロがⅠコリント7章17−24節、特に22節で基本的指針。
「奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。」

(3)パウロ自身の実践、ピレモン9節。

(4)私たち二人の応答。

[2]キリストの囚人パウロ、ピレモン9節

(1)逃亡奴隷オネシモ一人のため
 ピレモンの手紙を書く労、それを取り巻く一切、オネシモを決してあなどらない。
その基盤は、ローマの権力・勢力の下で、ローマの囚人である中で、なおキリストの囚人と本来の関係を見抜く、キリストにある真の自由人としての生き方。
大きな力、大きなものたじろがない。

小さい者をあなどる者は、大きな者にたじろぐ。

参照テオピロ一人のために書くルカ。
ルカ1章3節、「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。」

使徒1章1節、「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、」

(2)「キリスト・イエスの囚人」、ピレモンで2回
①9節後半と10節、「年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。」

②1章1節、「キリスト・イエスの囚人であるパウロ、および兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンへ。」

しかし実際にはロ−マの囚人
使徒28章17節、「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで(ロ−マの)囚人としてローマ人の手に渡されました。

(2)オネシモについての初代教会の伝承
 オネシモは、エペソ教会の監督となったとの後の教会の伝承。

[3]私たち二人の応答
Ⅱテモテ4章2節、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」
(1)判断、確定うべきこと
マタイ6章24節、「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

(2)判断、確定する必要のない、してはいけない場合
 時が良い悪いとの判断。

(3)その中で、実行すべきこと、「みことばを宣べ伝えなさい。」

[4]集中と展開
(1)集中
 主のしもべとして、「人間をとる漁師」(マルコ1章17節)の道を。
 
(3)展開
 マルコ2章27、28節「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。 人の子は安息日にも主です。」
 主イエスご自身に従う、キリストのしもべとして、
  政治的、
  経済的
  宗教的主義や組織による人間の手段化との戦い、
地上では戦闘の教会、主イエスに従う道。