ルカの福音書味読・身読の手引き・その71

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報k告

「ミナのたとえ」

ルカの福音書19:11−27節
[1]序 
今朝はルカの福音書19章11節から27節を味わいます.まず1節に注目し、「ミナのたとえ」を主イエスが話される背景を見ます。
またマタイの福音書25章14−30節の「タラントのたとえ」も参考にして比較しながら、「ミナのたとえ」の独自の教えを受け止めたいのです。
 1節に、「イエスエルサレムに近づいておられ、そのために人々は神の国がすぐにでも現れるように思っていた」とあり、当時の人々の神の国についての理解を示しています。
主イエスは,このような誤解に対して、「ミナのたとえ」を通し、王であるご自身が否まれること、弟子たちと離れるが(18章31節以下)、彼らに使命を与えている二つの事実を中心に教えておられます.

[2]ある身分の高い人
(1)「ミナのたとえ」において、「ある身分の高い人」と言われている人が主イエスを指していることは明らか。

(2)14節、身分の高い人に対する国民の反感。

(3)27節、拒絶が招く結果。
 主イエスエルサレムに行くとき、「神の国がすぐにでも現われる」(1節)との考えに対して、主イエスエルサレムでの十字架を見定めておられます。十字架を通しての王。

[3]主人の留守の間のしもべの使命
 「きょう、救いがこの家に」(9節)、しかし神の国の完成(主イエスの再臨)まで期間があり、使命を果たす役割を与えておられる。
(1)しもべは等しく十ミナを与えられる。
「タラントのたとえ」の場合との違い。一人一人、与えられているものが異なる面とすべての人が全く同じものを与えられている面の両方がある。「ミナのたとえ」は後者について。

(2)求められていることは、与えられたものを生かして用いること(「これで商売をしなさい」13節)。
また「ほんの小さい事にも忠実」(17節)。

(3)悪いしもべの場合。
 ①与えられているものを用いない(20節)。

 ②主人に対する思い違い、「きびしい方、・・・お預けにならなかったものを取り立て、お蒔きにならなかったものを刈り取る方」(21節)。
実際は、ミナやタラントを委ねておられる。 

[4]結び
(1)神の国についての理解。「すでに」現実となっている面と、「いまだ・・・やがて必ず」の面。

(2)だれにでも等しく与えられている神の恵み、賜物。それを生かして用いる特権と責任。