「旅行者か旅人か」『礼拝の生活』再考その128号

1973年5月6日
「旅行者か旅人か」『礼拝の生活』再考その128号
 
(巻頭言)「旅人として−日修養会での学び−」 
4月29日の一日修養会、創世記を中心にした学びのときを持てました。
私たちの今年度の歩みの目標を各自が再吟味する大切な集まりでした。
 
まず創世記一章を通して、万物の創造者、唯一の・生ける・真の神について聖書の宣言に聴き、神の万物創造の頂点としての人間の創造について思い巡らしたのです。
そこから人間の「地」における使命、何よりも、「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。」(創一:31)との驚くべきことばの深い意味を味わいました。
エジプトの奴隷として苦悩に満ちた立場から自由な者とされ、約束の地へ向かい荒野の旅を続けるイスラエル人の信仰の歩みとの深い係わりの中で、このみことばを味わったのです。神の創造の恵みと救いの恵みの中で、地において旅人として信仰の歩みを続けるとき、安息日を憶えることがどれ程重大であるかを学びました(創世記2:1−4)。

 さらに創世記11章27節から12章4節を中心に、アブラハムから学びました。
まず出席者各自が、どのようにアブラハムの記事・生涯を通して、実際の生活の中で教えられているかを報告し合いました。
この営みを通し確認できたのは、アブラハムと私たちとの深い一体性です。私たちもまた、約束を目指しこの地において旅を続ける旅人であると深く自覚したのです。
 旅人としてひたすらな歩みをしたいのです。神の万物創造を信じ、救いの計画を信じるゆえに、「地」に責任を持ちながら。

☆旅と旅行の微妙な違いと関係を覚えます。
旅には、苦労や苦悩の多かった昔の認識が結びつきます。
楽しむために一時的に自宅を離れて遠くへ出かける旅行とは違います。
故郷に対する希望に立ち忍耐に生きる旅人アブラハム、そして私たち。