3月の日々

電子書籍の出版を勧められています。従来の方法での出版に苦渋している有様を見かねてのことです。
 私は、従来の出版方法は受肉に基づくキリスト論的営み、
それに対して電子書籍聖霊論的営み(その理由は、ここでは省くとして)、双方が必要と理解しています。
 宮村武夫著作編集長・永田竹司先生と編集委員各自に、以下のメールを心をこめて送ったところです。

永田編集長、編集委員各位

頌主
先日は、添付頂きました、永田先生の最終講義・レジメ『ロマ書におけるアダム・キリスト:新しい人の到来』をめぐり、電話でしたが、対話を交わすことができ感謝でした。

3月18日(1969年私が20代で初めて授業を担当した東京キリスト教短期大学専攻科の)クラス同窓会、拙宅での世界宣教祈祷会と重なり、出席できず残念です。
しかし3月31日ICU教会のイースター礼拝に君代と出席、永田先生の宣教を拝聴できますこと感謝です、楽しみにしております。

こうした永田先生がICU東京神学大学を離れる日に備える、3月の日々を覚える中で、フェイスブック上での遠藤勝信先生とのやり取りを再確認します。

遠藤先生の感慨。
「この4月より、東神大で、その永田先生が長らくご担当された新約釈義のクラスを引き継がせて頂きます。
 先日、東神大にて、中野実教授とお交わりした際に、その不思議な継承の事実を、感慨深く共有致しました。」

私の応答。
「ボストン近郊の小さな学びの場から、M.テニー先生をはじめ、G.ラッド、W.レイン、D.ショラーなど幾人もの新約学者が巣立っていきました。
 その流れの中に日本人の永田先生も遠藤先生も位置を占められていることを覚えます。

 日本クリスチャンカレッジの1年生の秋から卒業するまで、3年半吉祥寺教会の聖研・祈祷会で竹森満佐一先生の聖書の読みに触れ続ける恵みの機会を与えられました。
この間、ただ1度だけ東京神学大学での学びについて竹森先生からお勧めを頂いたことがありました。
 その東京神学大学で、敬愛する永田竹司先生の後を、思いを越えた経過で主にある共感の絆で結ばれている遠藤先生が担当なさる。感謝です。
 竹森先生との出会いの意味も他の事々と同様、年を重ねる中でなお深く教えられ続けています。感謝。」

 電話でお話した、2月3日沖縄で出会った大田修兄からのメール添付します。
著作⑥『主よ、汝の十字架をわれ恥じまじ ドストエスキーの神学的一考察』、
このささやかな刊行(1962年日本クリスチャン・カレッジにおける私の卒業論文を中心とする)に対する期待が様々な方面から伝わって来ます。

 永田先生が、予定外の任務である本著作宗編集長の任を、「強いられた恩寵」として引き受けてくださったことを改めて感謝します。
 私の一貫した願いは、永田先生のICU退官までに、著作集刊行が完了、
新たな旅立ちをなさる先生に、これ以上の「強い」を与えないことでした。

 そのことが残念ながらかなわない今、せめて先生ご夫妻の北海道への移住前に、
著作⑥『主よ、汝の十字架をわれ恥じまじ ドストエスキーの神学的一考察』、
その刊行が実現することを切願します。

 編集委員会の上に、3月の日々、格別の祝福と導きを祈ります。

忍耐と希望(ロ−マ8:25)
宮村武夫・君代」

 ブルグを始めて、そろそろ1年になります。
続いて、それまで名前も知らなかったフェイスブック使徒の働き19章2節)を始めました。
 いずれも編集委員の一人・水草修治牧師の手引きによるものです、深謝。