ルカの福音書身読の手引き・その35

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

「家に帰って」
                  ルカの福音書8章26〜39節
[1]序
 新しい月・8月の主日礼拝においても,ルカの福音書を読み進めて行きます。私たちの生涯が主イエス・キリストの再び来り給う『主の日』を目指し備えであるように、週日の生活全体をもって主日礼拝への備えをなしていきたいのです。
8月の予定は以下の通り。
 第一主日 2日 ルカ8:26−39 『家に帰って』
 第二主日 9日 ルカ8:40−56 『娘二人』
 第三主日16日 ルカ9:1−6   『遣わされて』
 第四主日23日 ルカ9:7−17  『主イエスは喜んで』
 第五主日30日 ルカ9:18−27 
            『だれでもわたしについて来たいと思うなら』 
8月の歩みを展望しながら、今朝は8章26〜39節に焦点を合わせて行きます。マタイ8:28−34、マルコ5:1−17参照。
 詩篇107篇23−31節を最初にお読みします。嵐をしずめ港へ導く主なる神の恵みと人の子らへのくすしいみ業が結びついて、主なる神の御名が崇められています。
私たちも8章25節までの自然界の嵐と、今朝の箇所に見る人格の中に生じる嵐、そのいずれをもしずめる主イエスのみことばの権威を覚えたいのです。 

[2]「正気に返って」(35節)
(1)「ゲラサ人の地方」(26節)
 「ガリラヤの向こう側」、異邦人の地。主イエスが進み行く地はどのような場か。

(2)この人の状態.
 マルコ5章3−7節参照、詳しくこの人の状態を描く。
①人々のこの人に対する態度
  押さえ込もうとする、抑圧。しかしそれができないと隔離する。
 
②本人の態度
  人々から離れる、孤立。隔離と孤立は自己破壊へと。
  自分自身を傷付ける、マルコ5章5節、「石で自分のからだを傷つけ  ていた」

(3)目に見える現象を正確に見ると同時に、その背後の原因の指摘。
 「汚れた霊が何回となくこの人を捕らえたので」(29節)。
「神の像」として創造された人間の人格をゆがめ、ついには破壊しようとする汚れた霊の働きを無視したり、軽視してはいけないと教えられます。しかし何より大切な事実は、自然界の嵐また人格の中に吹く嵐をしずめなさる主イエスの権威です。
 マタイ28章18節、
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」
 
Ⅰペテロ3章22節、
「キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。」


(4)「正気に返って」(35節)
 ①着物を着る着物を着せるとは、当時愛をもって覆うことを意味していたと言われます。あの放蕩息子に着物を着せた父親の場合のように(15章22節)。

 ②「正気に返って」.この言葉は新約聖書の他の箇所では、次の箇所でも興味深く用いられています。
 ロマ12章3節,「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのにかけ与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい」
 テトス2章6節、「同じように、若い人々には、思慮深くあるように勧めなさい」
 Ⅰペテロ4章7節、「万物の終わりが近つきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい」

(5)人々の反応。一人の人が正気に返ることと二千頭の豚が犠牲なることの価値判断。

[3]「家に返って、神があなたにどんな大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい」(39節)
 正気に返ることを許された者が生きる道。
(1)「家に帰って」

(2)「町中に」

[4]結び
(1)現象を出来るだけ正確に詳しく見る目と態度。その背後の原因・理由を見抜く洞察力。
それらのことを通して、主イエスの権威を事実にそくして知る必要があります。また主イエスの権威を認めることによって、現象を正確に詳しく見る目を養われ、背後の原因・理由を見抜く洞察力を与えられます。

(2)39節、「神があなたにどんな大きなことを」→「イエスが自分にどんなに大きなことを」、主イエスは神。
 主イエスに解き放たれ正気に返った者として、聖霊ご自身の支え・助け・導きを受けて、聖霊の実を結ぶ生活と生涯(ガラテヤ5章1,13節を中心に5章全体)、家でも町でも。