ルカの福音書身読の手引き・その34

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

「いったいこの方は」
                  ルカの福音書8章22〜25節

[1]序
 先週の主日午後、祈り備えてきました半日修養会を祝福のうちに持つことができました。小倉から東江姉が参加し、私たちを驚かせまた喜ばしてくれました。その後東江さんから喜びに満ちた便りが届いています。
 あの半日修養会のように特別なことごとは私たちの信仰の歩みにとり、大切な節として与えられる恵みです。しかしそれと同時にいつも通りの歩みが土台であることも確かです。
特別と普段通り、この両面の調和が鍵です。ですから今朝もまた、いつものように主日礼拝でルカの福音書を読み進めるのです。

[2]「あなたがたの信仰はどこにあるのです」(25節)
 22節から25節の箇所は、15節や21節に強調されている神のことばの聞き方について弟子たちが言わば実地訓練を受けていと見ることができます。
私たちも主日礼拝から主日礼拝への歩み、週日の礼拝の生活において、神のことばを真に聞く訓練を主イエスご自身から受けている事実を大切にすべきです.
(1)「弟子たちは水をかぶって危険になった」(25節)
 この弟子の姿は、地上での私たちの現実をよく現しています。
ヨハネ16章33節、
「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

Ⅰペテロ4章12節参照、
「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく」

(2)「イエスはぐっすり眠ってしまわれた.」(23節).
 主イエスは,私たちと同様に真の人(眠りを必要とする)となれた真の神です。詩篇121篇3、4節参照。
そこに主イエスがともにおられる事実が中心です。私たちの思い通りのことをなされるかどうかではなく。

(3)「先生。私たちが死にそうでも、何とも思われないのですか」(マルコ4章38節)。
 なぜ主イエスは、弟子たちの言動に対し、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と鋭く問われるのでしょうか。
この場合も、他の福音書の並行記事を参考にすることが役立ちます。
マルコ4章36〜41節、特に38節の、「先生.私たちが死にそうでも,何とも思われないのですか」に注意を払う必要があります。
 この「何とも思わない」と訳されている単語は、マルタとマリヤ姉妹の家庭でのできごとを描く10章38〜40節の中で、
「主よ.妹が私だけにおもてなしをさせているのを,何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください」(40節)と、マルタの発言の中で用いられています。
さらに,ヨハネ福音書10章では,羊のために命を捨てる良い牧者との鋭い対比で、「狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです」(12節)と描かれている雇い人について、「それは、彼が雇い人であって、羊のことを「心にかけていないからです」(13節)とその実態を示す際に、この単語を用いています。
弟子たちが嵐の中で危険な目にあっているのに眠っているとは。岸辺では、良い教えを伝えていても、いざ危険な現場では何もしようとはしない、何もできない、雇われ牧者と言うわけです。
マルコが率直に伝えるこの単語を、マタイやルカは記すにしのびないと思われるほどのものです。

[3]「風も水も,お命じになれば従うとは」(25節)
 弟子たちが主イエスご自身についてどのように理解すべきか直面している課題は、主イエスと自然・宇宙(聖書の表現では「天と地」、「万物」)の関係です。
聖書では,三重の関係を示しています。その全体に意を注ぐ必要があります。
(1)主なる神のことばと万物の創造
①創世記1章1−5節、31節。

ヨハネ1章1−5節、マルコ7章37節。

ヨハネ1章10節、Ⅰコリント8章6節、コロサイ1章16節、ヘブル1章2節、黙示録4章11節など参照。

(2)被造物全体がうめきつつ、主イエスの救いの完成を待ち望む。
 自然の美しさだけではなく、被造物全体のうめきを感ずる信仰のセンス。①ロマ8章18−25節、特に22節。

②創世記3章17−19節、アダムの罪の結果は、住む土地に影響。
エレミヤ12章4、11節。土地のうめき。
沖縄、日本全体、地球全体の環境問題とは、土地のうめき。

(3)主イエスと人の救い、万物の救い。
①ピリピ3章31節。

②Ⅰコリント15章全体、特に28、43、48、52節。
人間のからだは、宇宙全体と深くかかわるのです。

③「新しい天,新しい地」、新天新地、黙示録21章1節、イザヤ65章7節、66章22節、Ⅱペテロ3章10、13節など。

④佐藤全弘先生の第18回内村鑑三先生記念キリスト教講演会での講演、『人の救い,自然の救い』。

[4]結び
(1)「いったいこの方は」との問いに対して、各福音書全体がそれぞれ答えています。たとえば各福音書の結びの部分で、
①マタイ28章18,20節
②マルコ16章7節
③ルカ24章46〜49節
ヨハネ20章28〜31節

(2)このお方に弟子,つまり人間が当然持つべき態度・信仰。
 風や水さえ従う、主イエスのことばを聞いて行う生活・生涯。
 聖霊ご自身は万物に働きかけ新天新地へ、主イエスが再び来り給うとき現実となる新天新地において、聖霊ご自身の頂点に達する現れ。
この驚くべき救いのご計画・歴史の進展の中で、「御霊の初穂をいただいている」者としての生活・生涯。
①Ⅰコリント15章58節.
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」

聖霊の実を結ぶ、ガラテヤ5章22、23節、
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。」