ルカの福音書身読の手引き・その15

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

神の国の福音」
ルカの福音書4章38節〜44節

[1]序 
今朝は、ルカの福音書4章の最後の箇所を味わいます。主イエスの恵みがどれほど個人的に行き届いたものであるか、同時に「神の国の福音」の広がりに注意したいのです。

[2]主イエスのいやし(38−41節)
(1)ペテロのしゅうとめのいやし(38、39節)
 ①「シモンの家」。4章33節以下に見た、汚れた悪霊につかれた人の解放は「会堂」(33節)・公の場でなされたのに対して、38、39節に見るいやしは、「シモンの家」と家庭でなされました。主イエスの恵みは身近なものです。。おそらくシモン・ペテロは、主イエスを食事に招いたと思われます。ところが「シモンのしょうとめがひどい熱で苦しんでいた」とあるように、家庭内に困難が生じていたのです。そこで「人々は彼女のためにお願いした」のです。直面している困難・苦しみを主イエスに伝えています。

②「熱をしかりつける」(39節)。主イエスの力あることばによって熱が追い出されると、ルカは主イエスのことばの権威を印象深く描いています。主イエスにおいて神の統治が現実となっていることを示しています。

(2)「ひとりひとりに手をおいて」(40、41節)。
①40節では、「いろいろな病気で弱っている者」と、人数は明らかにされていませんが多くの人々が主イエスのみもとに連れて来られた様を伝えています。主イエスは「ひとりひとりに手を置いて」個人的に親しくいやしの恵みを与えていることが強調されています。どれほどの人数であっても、単にその数の多さではなくひとりひとりが大切にされています。

②4章35節で見たように、42節においても、「ものを言うのをお許しにならなかった」と主イエスの権威が明らかにされています。
 主イエスの十字架と復活の後、弟子・教会が主イエスについて信じ告白し賛美し続けたことと対比(エペソ1章20,21節、ピリピ2章9,10節)。

[3]「神の国の福音」(42〜44節)(1)派遣。
 主イエスは、ご自身の福音宣教が父なる神による派遣に基づくことを明らかにしています。父なる神の派遣に忠実に従い御心を実現なさっていのです。ですから、カペナウムの人々が主イエスを自分たちの所に引き留めようとする願いを拒絶なさいます。
 「ほかの町々」。派遣の範囲が一つの場所のみに留まることなくいる、豊かな広がりを持つと明らかにされています。そして父なる神に派遣された主イエスが派遣する弟子・教会の宣教の広がりは、全世界なのです(マタイ28章18〜20節、ヨハネ20章21節)。

(2)「神の国の福音」。
 主イエスの宣教活動は、ご自身において神の国の到来が実現しつつあるとの確信と共に進められています。マルコの福音書1章14、15節を注意しましょう。父なる神の御心に徹頭徹尾従いつつ、神の国の実現・広がり・宣教をなし続けられるのです。

[4]結び
(1)主イエスのことばの力、権威。

(2)主イエスの恵み、家庭において。「ひとりひとり」に対して。

(3)自分中心ではなく、「神の国」が中心(マタイ6章33節)。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません」。神のご計画における世界宣教の位置。