ルカの福音書身読の手引き・その14

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。


「ことばに権威」
ルカの福音書4章31節〜37節

[1]序 
今朝は、ルカの福音書4章31−37節の箇所を味わいます。この箇所全体として、第一に心に刻みたいことは、主イエスの教え(31,32節)と行為(奇跡を含めて、33−37節)を切り離し得ない事実です。主イエスの教えは行為を通して現実に現されています。また行為は教えを通してその意味を明らかにされています。

[2]宣教の広がり(31、32節)
(1)ガリラヤの町カペナウムでの宣教
 31,32節には、カペナウムでの宣教活動を要約しています。この地における宣教活動の記述は、前後の他の地域における宣教活動についての記述と重なり、主イエスの宣教の広がりを明らかにしています。
①ナザレにおける宣教(16−30節、特に16節)。

ガリラヤの町カペナウムにおける宣教(31節)。

③カペナウムの回りの地方至る所へのニュースの広がり(37節)。

ユダヤの諸会堂での宣教(44節)。

(2)「ことばに権威」。
 主イエスの宣教活動の特徴を一言で言えば、「人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである」(32節)とまとめられているように、主イエスのことばに権威がある事実です。
マルコの福音書1章22節、「人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようではなく、権威ある者のように教えられたからである。」参照。

[3]汚れた悪霊につかれた人のいやし(33−37節)
(1)汚れた悪霊につかれた人の状態、抵抗。
①「大声でわめいた」、マルコの福音書5章2節以下(他の人々との交わりが断たれ、自分自身を傷付ける)参照。

②34節のことば。主イエスを認める、自分がどうなるかを恐れ抵抗。

(2)主イエスの命令。
①「黙れ」、悪霊の発言や意図を禁じる。

②「その人から出て行け」、悪霊の圧政から人々を解放、神の統治を明らかにする。

(3)結果、いやし。
男を地面に投げ倒して乱暴に悪霊が出ていく。しかし、「その人は別に何の害も受けなかった」(35節)。18節に見る、イザヤ書61章1節、「捕われ人には赦免」とのことばが現実となっています。主イエス・キリストの解き放ち・いやしの力を見ます。

[4]結び
(1)主イエスのことばは聖霊ご自身に導かれ権威に満ちています。ことばと行為を通して、ご自身の権威を示されています。
イエス・キリストを伝える弟子たちの宣教についても、「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです」(Ⅰテサロニケ1章5節)明確です。

(2)人々は、主イエスのことばと行為に驚きました。しかし、彼らはただそこに止どまり続けてはならず、絶えず前進する必要があります。たとえば、「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主にならう者となりました。」(Ⅰテサロニケ1章6節)と伝えられている、テサロニケの教会の人々のように。