雨宮のあで1番?『礼拝の生活』再考その121

1973年3月4日
『礼拝の生活』121号
 
(巻頭言)「日本思想史の学びへの期待」 

 青梅また富士見ヶ丘での牧会を通じて、日本における福音宣教・教会形成のために、日本思想史の学びがどうしても必要であることを雨宮巍先生は痛感なさったそうです。
 
 私たちは、真空地帯の中で福音を聞いたわけではありません。
 また真空地帯の中で、福音にふさわしく生きるのでもありません。さらに真空地帯の中で、福音を宣べ伝えているのでもありません。
 私たちは、常に私たちが生まれ生きる日本の精神風土を考慮することなくして、福音の受容や伝達を正しく、深く考えられないのです。
 この点に関して、JPC研究調査専門委員会編の「聖書信仰と日本の精神風土―靖国神社法案の源流をめぐる―」(いのちのことば社、500円)が、問題点をわかりやすく指摘しています。
 
 日本において、キリストの教会の一員として生きる特権と使命を与えられたキリスト者が、日本思想史を徹底的に学ぶことは、まさに避けることのできない課題です。ですから、雨宮先生が、過去十数年の教会生活の中において直面したあらゆる問題意識をもって、日本思想史の学びをなす決心をされたことに大きな期待をもって、祈り協力したいものです。教会の多忙な中で、学びを続けていくことは、簡単ではありません。
しかしそれだからこそ必要であり、重要なことを知らされます。
 私たち一同、大きな期待をもって、雨宮先生のために祈りたいものです。

☆雨宮先生は、駒沢大学仏教学部仏教学科を学の場として選ばれたのです。
 大学の卒業式に、私は駆けつけました。
多数の人々が詰め掛けた式で、雨宮先生は仏教学科の総代として、壇上で卒業証書を受け取られたのです。
 何か誇らしい気持ちになり、「見て、見て、総代は私の友人雨宮先生、現職の牧師だ」と周囲の面々に大声で伝えたいほどでした。

 ところがです。何年もたって、雨宮先生が総代で卒業証書を受けとったのは、優等生だからではなく、名簿の順番が雨宮のあで1番だったからではないのか、ふと思ったのです。
 そう思ったことは記憶していました。しかしその答えを思い出せないのです。
そこでこの文を書くため昨晩電話したところ、敬子夫人が、「現職の牧師が優等生でした」としっかりと答えてくました。
 1958年日本クリスチャン・カッレジ1年生として出会って以来の、主にある共なる歩みを改めて感謝しています。