将棋の駒でなく、指し手として『礼拝の生活』再考その115

1973年1月14日
『礼拝の生活』115号
 
(巻頭言)「今年の具体的な歩み(一)」
 
 前号において、私たちの群が1973年自覚的に立つ基盤を確認しました。
それは、モーセやイザヤなど神の民が歩み続けてきた道・唯一の、生ける、真の神のみ前に立つ自由と責任を与えられた者としての自立と協調の道です。
 
私たちは自立と協調の基盤に立って、群全体また各自が具体的な歩みをなすのです。私たちは群の小さいこと、また各自のそれぞれの弱さを私たちは知っています。
しかも私たちに与えられている責任の大きさを深く悟るのです。


それゆえ主なる神にのみ信頼しつつ、この年厳しい道をあえて選び取ろうとしているのです。私たち群全体が一体となって自覚的に信仰の戦いを戦っていく過程において、各自の信仰的成長を期待します。そして各自が真に自立して信仰の戦い従事することこそ、群全体に与えられている青梅の地における世の光、地の塩としての使命を果たす唯一の道なのです。
 
以上のことを再確認しながら、第一次五ヶ年計画を参考に、今年の具体的な歩みについて思い巡らしてみます。
 
まず、執事会についてです。
1972年度の課題は、祈りと学びを通して霊的指導力を整えられるようにでした.
1972年1月から、月に一度の執事祈祷会を持つようになった事実、やはり大きな恵みでした。それぞれ家庭の責任、また社会的な責任を与えられている執事や執事候補にとって、ともに集まり祈り合うことは、その必要を深く自覚して戦い取らなければ、なかなか困難なことです。月に一度とは言え、そのような機会を与え続けられ、誠に幸いでした。

 今年もともに祈り合い、さらにともに学び合う姿勢を確立したいのです。
年に二度、春と秋に一泊の研修のときを持つことも定め、この3月に第一回の集まりを予定しています。このために特別な祈りを必要としています。
執事各自の学びばかりでなく、執事会全体として共通の学びは、信仰の一致に立って執事各自の賜物が充分に生かされていくために、非常に重要なのです。
こうした執事と執事候補の一つ一つの歩みを通して、1973年度の執事会の歩みがさらに充実したものとなると期待します。
 
役員会の1972年の目標は、事務能力と記録整理でした。
 私たちの群が、歴史の統治者である神のみ前に、与えられた時と場所の重要性に目ざめて、歴史的センスを持って歩み続けていくためには、事務能力と記録の整理は重要な鍵です。私たちは過去の歩みを忘れることなく、その恵みと失敗を生かして現在から将来の歩みを、責任を持ち自覚的になして行くべきです。
また何を根本に意思決定がなされ、なされた決定がどのように実行されたかまた実行されないことを公にし続けていくことは、私たちにとってやはり大切な責任です。しかも困難な責任です。
役員会として、この責任を果たす努力を今後も続ける必要があります。また私たちの群の役員会は、各分会との関連の中で連絡会としての性格を持つ事実がはっきりしてきました。
各分会を中心に進められるキリスト者の交わりと宣教活動を、教会全体として常にかかわる体制を確立する場が役員会です。

ですから、1973年、1974年度において役員会の再組織を目ざす場合、以上のような役員会(連絡会)の性格を考慮して、各分会との生きた関係を重視した組織が考えられなければなりません。
 
男子会、昨年曲がりなりにも数回開かれました。男子会のメンバーは三十歳以上か既婚の者と申し合わせで出発しました。
ですから男子会共通の自覚としては、キリスト者家長としての責任と職業人としての社会的責任を深く意識している点があげられます。
男子会の集いでは、ともに課題をあげて祈り、話し合いを持っている段階です。
この基礎の上に、さらに聖書の宣言を困難な責任を果たすために必要な道の光、足のともしびとして主体的に聴いて行く体制が整えられるように。これが1973年度の課題です。
 
教会婦人会の1972年度の課題は、奉仕の体制でした。
しかし体制などと改めて協調するまでもなく、教会婦人会は種々の行事や必要のために、様々な場面の背後にあって奉仕してきました。
そして1973年度の課題である求道者の受け入れ体制についても、このことが自然の中になされるように期待します。

 私たちの群は、もみの木幼児園の存在もあって婦人への宣教には恵まれた立場にあります。
しかし現況は、その恵まれた立場を充分に生かして責任を果たしているとは言えません。ですから教会婦人会が、自然の中にキリストにある交わりを広げていくことを大いに期待されるのです。
自然の中にとは、キリスト者の生活にとって自然な、執り成しの祈りの中にです。それでこの4月から、毎週水曜日の午後にともに祈る時が定期的に持てたら実に幸いです。
今年教会婦人会のメンバ−で、出産を迎える方が多いのも幸いです。
各自が母親としての責任を喜びをもって果たし続ける中で、教会婦人会の交わりがますます深められて行くように願い期待します。
 
1972年度に残された1月、2月、3月の歩みにおいて、私たちは年度の課題と昨年4月からの歩みを再吟味したいのです。そして4月からの1973年度の課題の意味を見ぬいて行くのです。一歩一歩地に着いた歩みを通しいて、この時代、この場所で主から委託された使命を果たし続けたいのです。

1970年代、30代の牧師として、青梅の地で歩み得た恵みを感謝します。

 あの日々から40年後の今日まで一貫している確信は、牧師である前に、自分が一教会員である喜びです。

 同時に教会員各自が、それぞれの場で与えられた使命を果す各自の牧会を実践する嬉しい目標です。
 
 教会員を牧師の牧会の将棋の駒と錯覚するようなことがあってはならない。
 教会員各自が将棋の指し手として生き切る。
その時、牧師も教会員も、キリストの将棋の駒として成り得る。
そのための説教牧会。