「ひたむきな心をもって−心を一つにして道を歩む恵み−」

「ひたむきな心をもって
−心を一つにして道を歩む恵み−」

詩篇86篇6−11節
2012年10月21日(日)
日本福音キリスト教会連合丸亀聖書教会

父、御子、御霊・三位一体なる生ける神の御名を讃美します。          

[Ⅰ]序

(1)今回、丸亀聖書教会主にある皆様と共に、2回の集会で、聖書を味読・身読できる機会も与えられ、心より感謝いたします。私にとっては、2009年脳梗塞発症後初めて、しかも妻君代と共にです。

(2)第1回本日の主日礼拝では、詩篇86篇6−11節に意を注ぎ、『ひたむきな心をって−心を一つにして道を歩む恵み−』の宣教題のもと聖霊ご自身による導きを求めつつ思い巡らします。
午後の第2回の集会では、「心、生活、生涯−神の恵みの舞台−」が宣教題です。

(3)「ひたむきな心をもって」、この丸亀聖書教会の本年度教会年間標語を掲げ進む歩みの上に、祝福が豊かにありますように。そのため本日の二回の集いも用いられますよう祈り願います。

[Ⅱ]詩篇86篇11節、「私の心を一つに」

(1) 詩篇86篇の要点
 要点は、神のしもべ(2、4節)の神に対する信頼と服従、これです。

(2) 詩篇86篇11節を、ゆっくりとご一緒にお読みいたします。
「 【主】よ。あなたの道を私に教えてください。・・・祈り
 私はあなたの真理のうちを歩みます。・・・応答・覚悟
 私の心を一つにしてください。・・・祈り
 御名を恐れるように。」・・・目標

☆祈りの内容は、聖霊ご自身の内なる御業によってのみ実現可能。

(3)「心を一つに」、参照マタイ6章24節、ヤコブ4章8節。
心を一つにに焦点を合わせ聖霊ご自身の内なる導き願い祈り続けるのです。

[Ⅲ]「心を一つに」するためには

(1)「初めに、神は」、基盤、土台、原点を明確にする。
聖書の宣言は、明確な恵みの事実。
① 創世記1章1節
「初めに、神が天と地を創造した。」
ヨハネ1章1節、14節
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。・・・
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

★何を「初めに」とするかが、すべての鍵。
してはならないものを「初めに」にする可能性を用心する必要。
何であれ、神以外のものを「初めに」すると、それが偶像になってしまいます。
すでにそうなっている実体・実情を見抜く素朴な澄んだ眼。正しい意味の批判精神の確立。

(2)「しかし神」、いざと言うとき、本音が肝心。
「しかし」、この小さなことばが、聖書においても、私たちの生活・生涯においても、決定的な役割を果し、影響。
①「しかし」の前と後、鋭い対比。たとえば手紙の例

②「しかし」の前に何がこようが、その後に来るものがすべてを支配、決定します。
「しかし」の後に何が来るかが肝心。それが偶像となる。

詩篇86篇14、15節の対比
14節「神よ。高ぶる者どもは私に逆らって立ち、
 横暴な者の群れは私のいのちを求めます。
 彼らは、あなたを自分の前に置いていません。」

15節「しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、・・・神の恵みの事実
   情け深い神。
   怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。」

[4]集中と展開

(1)集中
心を一つにし、ひたむきな心をもって歩む道は、決して迷信、まして狂信とは全く違います。
難し過ぎることのない、聖書が明言する神の恵みの事実に根差す確信に満たされた歩みです。

(2)展開
今集められ、このように丸亀聖書教会の主日礼拝に預かっている恵みの場で心からの讃美を。
そして主が派遣される週日の場で、主日と同じく主を礼拝し、そこで礼拝の生活を貫き、
どんな小さな人・どんなちいさなこともあなどらず、
どんな大きな人・どんな大きなことにもたじろぐことなく、
聖霊ご自身の導きを受けて礼拝の生活をなし続けられるよう、今、ここで心を合わせ祈ります。